蟻は今日も迷路を作って

真面目な話からそうでない話まで。本当の話から嘘の話まで。蟻迷路(ありめいろ)という人が書いてます。

ニャン太を永久に損なう

今週のお題「復活してほしいもの」

 

くらの街から、ニャン太が永久に失われた。

それはただ失われた以上の、まるで青春の時間を損なって胸にぽっかりと空いた穴のような喪失感を、ぼくにもたらした。

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(元画像 http://www.japan-photo.de/gluecksbringer.htm

ニャン太は、写真を現像してくれるパレットプラザというチェーン店のマスコットキャラクターだ。
この瀬戸物のような質感の置物が、タヌキの置物よろしく店の前に出て客を呼び込む。呼び込むと言っても喋ったり動いたり目が光ったりするのではなく、ただそこに存在してなんらかのパワーによって客を吸い寄せるのである。不思議と言えば不思議な存在だ。

ただ、パレットプラザ、会社近くにあった店舗もそうだったが、不調の波に呑まれてどこも店を閉じている。

それもそうで、いまどき写真をわざわざ現像しようという人は少ないだろう。大型ショッピングモールの中にわずかなスペースで店を構えるならまだしも、物件ひとつ借りて商店街の中でやっていくには厳しい時代なのだ。

ぼくも最後に写真を現像したのなんて何年前だろうってぐらい、実物の質感を伴った写真を手にするのさえ一年に何回あるか、片手で数えるほどしかない。

写真はデータの時代なのだ。その時代の中でニャン太の招きは虚しく空振るばかりだ。

 

ぼくらの街のパレットプラザも、先日閉店した。

客が入っているのを見たことはなかった。ぼくだってニャン太以外に用事は無い。

店の前でニャン太が腹を膨らませているとぼくは近寄って「やあ」などと挨拶し、しばしそこに佇んでニャン太とどんな暮らしを送るか妄想したものだった。

これは小学生時分の話ではなく、つい3か月前くらいの話だ。ぼくは今年で27になる。

ニャン太は今年27歳になる男の、癒しだった。

 

ニャン太は間違いなくシシャモやメザシといった魚が好きだろうし、家には小さいコタツと魚を焼くための焜炉があって、ぼくが訪ねるとにゃっにゃっとご機嫌に笑いながらモクモクと炙ってくれるのだ。餅も好きだと思う。納豆も好む。

ドリンクはもっぱら日本酒の安いやつで、ぼくはこれを飲むと頭が痛くなってくるんだけど、ニャン太はいくらでも大丈夫らしかった。もっとも、いつも笑ってる奴だし、大抵ヒゲを張ってるネコだから、酔ってるのか見当もつかない。しょんぼりするとヒゲが垂れるのでわかりやすいのだけど。

家はボロボロだけど居心地が良かった。大正ガラスの窓は風景が歪んで見え、風が吹くとガタピシ音がするけれど、いつもピカピカに磨かれている。電球は昔ながらの白熱灯だから薄暗いのだけど、夜になるとニャン太の笑い声と混ざってなんだか温かい光になる。木の柱は飴色に変色していてこの家がずっと昔からここでニャン太と過ごしてきたことを物語っている。ところどころに爪痕がある。若い頃の出来心だからあまり見ないでくれ、とニャン太はヒゲを揺らす。

2リットル紙パックの日本酒をコップに注ぎ、シシャモをかじりながら近所の神社の裏手にある祠の話とか、どの家の屋根の上が居心地いいかとか、ゴミを荒らしまわるカラスを退治した武勇伝を聞かせてくれる。

じつはぼくとニャン太の出会いは、そうした武勇伝の内のひとつの、はからずも巻き込まれた小さな冒険がきっかけだったのだけど、その話はまた今度にするとして、ここで言っておきたいのは、彼はひとりの仲間としてとても頼れる存在だし、一頭の猫として尊敬に値する男で、友だちとしてすごく好きなやつ、ということだけだ。それ以上でもそれ以下でもなく、大切な友だちなんだ。こんなぼくにも家に招いて楽しく過ごさせてくれる、いいやつなんだ。

趣味はもちろんカメラ。

僕と恋人が結婚したあかつきには、ニャン太に晴れ姿を撮ってもらおうと思ってる。

ニャン太のぶらさげたカメラはシャッターを切ると「ばしっ」と大袈裟な音がして強く光り、今この時の光景を、感情を、強烈に焼き付ける。なかなかいい構図で撮る。猫的な感性なのだろう。ぼくは彼のカメラも信用している。

 

閉店するとき、店主に頼み込んでニャン太を譲ってくれと直談判しようとしたら恋人に止められた。

「どこに置くの?うちこんな大きなネコを飾るスペースなんてないよ」

「玄関に置こう。きっと福を招くよ」

「閉店してる時点で福招いてないよ。玄関なんかに置いたら出られなくなっちゃうでしょうが」

恋人は正しいことしか言わない。

せめてあのとき、ニャン太と一緒に写真を撮っておくべきだったと後悔している。

でも、人通りの多い商店街で置物と一緒に写真を撮るだなんて、子どもならまだしも今年27になろうという ますらお一匹がいたら事案になりかねない、なんてくだらない気持ちで写真を撮らなかった。

こんなことなら ぼくは大人になるべきではなかったのだ。

 

もぬけのからになったパレットプラザの前を通るたびにひどく虚しい気持ちになってその場にひざまずきたくなる。

青春を失ったかのような、胸に大きな穴が開いたかのような喪失感。

ぼくらは永久に、この街からニャン太を損なったのだ。