今年の猛暑はもはや災害級で、なんなら晴れよりも雨の方が嬉しいくらいのものだ。「日中は全国的に晴れです」と告げるお天気キャスターの口調もどこか暗い。
良い天気と悪い天気の区別は要するに雨が降っているかどうかによるもので雨が降っていたら悪い天気とされる場合がほとんどだが、この夏に限っては晴れを「良い天気」と手放しに褒めるわけにはいかない。
この夏に限っては、と書いたけど、たぶんこれからこの酷暑が夏のスタンダードになっていくのだろう。
環境破壊は来るところまで来てしまったのだ。たった100年ちょっとで。
夏の夕方が好きだった。
照りつける太陽がビルの向こうへ消えて、空の上のほうがまだ明るくて、ゆるやかな風が吹くあの時間が好きだった。
アスファルトから立ち上る熱のせいで汗ばむのに、風が吹いているからほんのりと涼しくて、湿気があってぼんやりとした気分になる。
夕焼けにもなりきれていない空に浮かぶ雲は薄紫色をしている。どこかでカラスが鳴いている。蝉たちの声が静かになっていく。街の足元にはもう夜の気配が来ている。高架下は暗くなってきている。
夏の夕方にしかない匂いがあった。
どう言えばいいのかわからないけどとにかく夏の夕方の匂いだ。
胸の奥まで染み込んだ空気が全身を満たし、泣きたくなるほど切ない気分にさせる。
私には夏に帰る田舎が無かったので(田舎に住んでいた祖父母は私の生前に全員死去していた)、ジブリとか夏の思い出なんかによく出てくる「日本の夏の原風景」みたいな景色にノスタルジーは感じないが、夏の夕方の匂いは心の奥底にあるそんな原風景のノスタルジーを刺激して切なく愛しくさせてくる。
甘い匂いとか辛い匂いとかすっぱい匂いとか匂いの表現は味覚に結び付くものが多いけど、夏の匂いは「ない記憶」すら刺激するほどのノスタルジー感覚に結び付いている。
夏の匂いが最近しないのは、コロナでマスクをしっぱなしというのもあるだろうし、あまりにも暑すぎて夜になってもぜんぜん涼しくないせいもあるだろう。帰り道ですら汗だくになる。さんざんだ。
ほんのりとした涼しさがなければあの夏の匂いはしないのだ。
環境問題によって夏の匂いが失われつつある。
夏の匂いだけじゃなくて、きっと春の光とか、秋の風とか、冬の音とか、私の知らない誰かのノスタルジーがきっと失われつつある。
地球環境の変化がほんとうにすべて人間の活動に由来しているのかは不明で、もし自然の成り行きで環境が変化しているのだとしたらそれを人間が住まいやすいように留めようとするのは見当違いなエゴだけど、でも、夏の匂いを守るためならエゴを発揮して環境問題に取り組んでやろうと強く思う。
おれは夏の匂いを自分の子どもにも知ってほしい。
汚れた海を見る悲しさを知ってほしくない。
美しい夏の雲を見せたい。
四季を感じてほしい。