とくに書くことなんてないな、という日々を送っている。
夏休み4日目も何の予定も入っておらず、朝早く起きて、本を読み、YouTubeを見ていたら昼になったのでコンビニに行ってテキトーになにか買い、昼食を食べたら昼寝をして、15時か16時になっている。
こういった生活がなんら苦でもないのだが、これが続くとたぶん病気になるな、という実感がある。
というのも、日々、加速度的にやる気というか、精気を削がれていくのだ。
いちおう健康的な精神状態ではあるのだけど、この鬱屈とした空虚な退屈を貪り続けるうちに、生活の虚無が心にまで侵入してきて、煮えすぎた茶碗蒸しみたいな鬆(す)が精神を巣食ってスカスカになってしまうのではないかと思う。
心の病はもしかしたら生活スタイルも要因の一つではないのかしら。
ストレスとか外的な要因が大きな部分を占めるだろうが、こういった内的な要因もまた原因の一つとなりうる。
だから心の病というのは、生活の一部をあらためることが回復の一助になるかもしれない。片付けをするとか、散歩をするとか、文章を書くとか、トランポリンをするとか(トランポリンは鬱状態から最も遠い場所にある運動だ)。
まぁ、それが簡単にできないから鬱になるのだが……。
とはいえ、私の休みは明日の日曜日までで、それもやはり予定が入っていないので、このまま夏休みは突っ切るつもりだ。
それでいいのか?
短い人生の貴重な夏をこのように過ごしていいのか?
人はそう言うかもしれないけど、いい。
なんといっても外が暑すぎる。
日傘を持ち歩いているとはいえ、この外に出てうろうろするなんてまっぴらごめんだ。
この夏、子どもたちはどうやって過ごしているのだろう?
外で遊ぶのはどう考えても危険だ。それも日本中がそうだから、レジャーなんてどこに行っても楽しめない。楽しさよりも「暑い」という苦痛が思い出になってしまいそうだ。
家にこもって、友だちと通信を繋いでゲーム?マイクラ?
ゲームはそりゃ楽しいけど、子どもたちの夏は大人よりももっと貴重なものだ。いくらなんでもずっとゲームは飽きるにちがいない。
夏休みには小さな冒険があり、心地よい風があり、爽やかな汗があり、一歩の成長があるものだ。入道雲が美しく、蝉がわんわん鳴いて、夕暮れが寂しい。それが夏休みってものだ。普段は無視してる近所の祠が気になって、お社の裏側を覗いてみる。旅行に行くもよし、行けないもよし。いずれにせよ夏空が未来を呼んでいる気がしてくる。いつもよりなにかが気になる。それが夏ってもんじゃあねぇかい?
ああ、可哀想な子どもたち。
おお、可哀想な子どもたち。
この3年くらいで環境問題が日本にも一気に露呈した感じがする。この異常気象は今後ニューノーマルになるといわれている。
酷すぎる夏と過酷な冬しかない。
最悪だ。あの夏はもう戻ってこない。
だれがこんなふうにしたのか。過去の人たちを責めても仕方がないし、過去の発達と犠牲のおかげでこうして快適に暮らしている現代人が無知だった昔の人々への非難をする権利もなく、それに人間のせいで本当にこんなことになったのかも私は怪しいと思っているので、もうこの環境に適応していくしかない。
それにしても、この天気はあんまりだ。
私が出かけられないのはすべてこの酷すぎる暑さのせいだ。
友だちがいないからとか、どこも値段が高くて旅費に充てる金がないからとかそんな、そんなみみっちい理由じゃない。断じて違う。断じて違う。私から日々の気力を奪うのはこの天気のせい。天気め。あ〜天気!くそ〜!