通勤電車の通る駅に遊園地があって、毎朝それをいいなと思って車窓の檻から眺めている。
遊園地ではしゃぐような年齢ではないけれど、これから仕事に行く人間の目に映るそれは、羨ましい楽園だ。平日の人けのない遊園地は現実から目を背けた者だけが足を踏み入れることのできる、浮世離れした異空間に思える。
特にあの、鋼鉄が楽しげに曲がりくねっているジェットコースター。
ビルの間を縫うように自由に踊り狂っているジェットコースター。
あれは、解放の象徴だ。
リバティ。
そのジェットコースターには今まで何回か乗ってきたけど、ここ半年はずっと改良工事中で乗ることが叶わなかった。
都内でもそれなりに、そこそこ怖い、と評判だったジェットコースター復活の日を、今か今かと待っていたファンは多いだろう。
今の会社に入った理由のひとつに、通勤途中にジェットコースターがあるから、というのがある。仕事終わりに乗れたら最高だと思ったのだ。
ジェットコースターなんてわざわざ落ちるものに乗るなんてどうかしてる、と批判する人がいる。怖い思いをしてなにがしたいのかと指をさす。
まったくおっしゃるとおりだと思う。
落下という根源的な恐怖をわざわざ味わって臨死体験から絶頂の悦楽を得ようとする、じつに人間らしい愚かな乗り物である。
でも普通に生きてると、ときどきその異常さがたまらなく恋しくなる。
どうかしちまってるのかもしれない。
4月になってジェットコースターは静かに復活した。
私は連日午前0時近い帰宅を繰り返している仕事ぶりで、はっきり言って仕事終わりにジェットコースターに乗ってる場合ではなかったのだが、いてもたってもいられなかった。
ふつうに仕事をほっぽり出して、定時に退社し、急ぎジェットコースターへ向かった。20時までやってるから、ギリギリ間に合う。
今日はジェットコースターに乗って帰ります。
平日のジェットコースターは、終業時間前だというのに、意外にも混んでいた。20分くらいは並んだだろうか。
若いカップルや遊びに来た専門学生のグループみたいなのばっかりで、私は非常に肩身が狭かった。マスクをしていたのも私だけだ。もうコロナは終わったのだ。
1人だけ年齢が違うし、独りだし。
遊びに来ている子たちはその場に馴染んでいて自然だが、ジャケットを羽織って明らかに仕事終わりの私は、まったく尋常ではなかった。
私がもし若い学生さんのなかに、そんなおじさんが独りいるのを見たら、なにか察してしまうな。
平日の仕事終わりに独りでジェットコースターに乗りに来ている男。憐れんじゃうね。
どうぞ、憐れんでください。
運良く一番後ろの席に座れた。
ジェットコースターは一番後ろの席で両手をあげて乗るにかぎる。遠心力がかかって重心が上に引っ張られ、より強い浮遊感を味わえる。
その一瞬の無重力で沸騰する血液が悦楽へ誘う。
有名なトンデモ心理テストに「ジェットコースターに乗ったとき、どんな叫び声をあげますか?」というのがある。
その答えは「あなたがエッチするときの喘ぎ声と同じでしょう」というロクでもないものなのだが、あながち的外れでもないと思ってる。
ジェットコースターが終わったあとの心地よい疲労感は、(私の場合は)、セックスをしたあととほとんど同じだからだ。
私は一番後ろの席で血液を沸騰させながら叫び声をあげて、精神的に射精している。
公序良俗に反すると、ジェットコースターに乗るたびに思う。
この日も思う存分、ヤった。
ずっと待ってたんだ。半年間。落ちるたびに切なさが突き抜ける。
本当はただ叫ぶのではなく「殺してくれ!」と叫びたい。
でもその言葉は遊園地にはどうしても不釣り合いだ。
まったく、この乗り物は最高だよ。
どこにも行けない、という点だけを除いて。