5月の大安の土曜日に結婚式を挙げた。
なにをどこから話せばいいのかわからない。とにかく結婚式を挙げたことだけはたしかだ。まだ余韻が残っていて、ぼーっとしている。
準備に一年くらい時間をかけて、本番はものの3時間くらいで終わってしまう、人生一度きりの晴れの日。
準備がかなり面倒くさかったし、考えるべきことはいくらでもあって、妻との性格の違いも災いして喧嘩も重ね、お互い疲れてもはや「結婚式はやく終わらねーかな」なんて言って笑ってたのに、やってみたらマジで秒で終わった。
年齢を重ねるにつれてさまざまなことがあっという間に終わるように感じてしまうけど、それにしたって結婚式は本当に一瞬の出来事だった。巨大な感情が波のように押し寄せて、目が覚めたら自分は浜辺に寝ていたみたいな、気絶していたかのごとき時間の進み方だった。
端的にいって、最高の1日だった。
自分のことを祝ってくれる人なんて全然いない。涙を流す人なんていない。
そう思っていたのに、参列してくれた人の中には実際に涙を流してくれた人もいたし、私たちのことを自分のことのように想ってくれた人もいたし、感動や祝福を温かい言葉で伝えてくれた人がいた。そもそも、来てくれたこと自体が祝福的なことだったのだ。
自分一人だけが勘違いをしていたのかってくらい、たくさんの「おめでとう」をもらった。
こんなにお祝いされるのは生まれた時以来で、今後はノーベル賞でもとらない限りこれ以上の祝福はないだろう。
人生でこんなことってあるのだと思った。
できればもう一度結婚式をやりたい。
あの日に戻って、もう一度楽しみたい。
無理なのはわかっている。
過去に戻れないのが無理というのもそうだけど、結婚式はあの一度きりだからよかったのだろう。一度きりだから感動できたのだろう。一度きり集まれたあのメンバーだから、素晴らしい空間になったのだろう。
もう一度結婚式をやりたいけど、やりたくない。
あの1日だけだから、永遠になったのだ。
(それに、準備はもう二度とやりたくない)
おめでとう、という祝福の言葉も嬉しかったけど、それ以上に参加してくれた人たちから、いい結婚式だったとか、料理が美味しかったとか、感動してずっと泣いてたとか、そういう感想をもらえたことのほうが嬉しかった。
外まで聞こえるほどの笑い声とか、涙で鼻を啜る音とか、そういったみんなの息遣いが聞こえたのがよかった。
こっちはみんなが「いい結婚式だった」と思ってくれるように準備をしていたから、主催者冥利に尽きるというものだ。
二次会の帰り道に、妻と「今日が人生最後の日みたいだね」と縁起でもない話をした。でも、ほんとうにそれくらいの祝福だった。
「このままホテルでぐっすり眠って、結婚式の思い出の夢を見ている間に、安らかに死ねたらどれだけいいだろう」
「きっと笑顔で死ねるね」
それが人生の最高の幕の閉じ方に違いない。
でも、日々は続く。
一夜明けて日曜の朝、ホテルで荷物をまとめて、タクシーで帰宅し、部屋に帰る。
玄関を開けると生活のニオイがする。
私はやり残していた月曜日までの仕事があったので、パソコンを開いて午後は仕事をした。
日々は続く。
余韻が少しずつ冷めていくのがたまらなく寂しいけれど、これが現実。
ふと結婚式の写真を見返す。
私も妻もほとんどずっと笑っている。たくさんのゲストが幸福そうな顔をしている。花が咲き飾られ、美味しそうな料理が並び、楽しい音楽がかかっていて、温もりを感じる。
それだけで今、生きる気力が湧いてきて、これからも続く日々が、とても華やかなものに思えるのだった。
よかった。これからも、日々は続く。
(大学の友だちからプレゼントでいただいたお花)