蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

結婚式の夢

5月の結婚式に向けて打ち合わせをしたり、いろいろと決めたり、準備を進めている。

準備は妻が主導となってやり、私は調べ物に参加したり、好みをもとに決定を下したり、意見を言ったりしている。

私は仕事の関係で帰りが遅くなりがちだし、4月と5月は血反吐を吐きそうなほど忙しくなる予定なので、どうしたって妻がメインで動いた方が都合がいいというわけだ。

それに、結婚式へのネガティブなイメージが、どうしても払拭できない。

 

結婚式は自分たちのためにやるものだ。

衣裳をはじめとして、なにからなにまで選ぶものが多いのだが(なにを選ぶかを決めることが準備であると言えるだろう)、それもすべて結婚式を自分のこだわりのようにすること、自分の満足できるようにやることが目的である。

自己肯定感が低く、万事にして自分のランクが低く見積もられている私は、この、自分のためにお金をかけて何かをする、というのができない。

自分のことなんてどうだっていいので、だから服も選べないし、食事もテキトーになるし(食べなくなる)、掃除もできない。

今ふつうに生活ができているのは、すべて妻がいるからである。

妻があるから小綺麗な服を購入したりするし、食事もするし、掃除もする。汚いと怒られる。

結婚式だって、妻がやりたいと言い、母親が「結婚式を挙げるのを条件に」妻との結婚を許したから、義務的にやるだけだ。

私個人のためということはまったくない。

でもそれだからモチベーションがないかというとそういうわけではなくて、妻のために必ずいい結婚式にしてやりたいと思っているし、妻の晴れ姿を見るのはとても楽しみだ。

なにせ一生に一度。生涯でただ1人と、ただ一度。

自分自身のことはどうだっていいから、できれば私は袖に引っ込んで妻の様子を見守っていたい。

 

だいたい、私には友だちが2人しかいないので、惨めだ。サークルの人たちだって来てくれるかはわからない。私は人望というものがなかったのだ。

これまでの人生の総決算。

結婚式をそのようなものだと捉えている。

人間関係を疎かにしていたから祝ってくれる人は少ないし、親族だって妻の方より少ないし(みんな死んだか、縁が切れているか、心の病を抱えている)、自分自身を愛せていないので自分を立てることができない。

まるで自分の人生じゃないか。

だからきっと、私は、結婚式で、ひどい思いをするのだろう。

 

その考えがまとわりついているせいで、結婚式で大失態をやらかす夢をよく見る。

料理が腐っていたり、妻が他の男と結婚したり、会場が体育館になっていたり(隣のコートでバスケの試合が行われている)、私が何もかもを忘れて台無しになる夢だ。

私は指環を忘れ、手紙を忘れ、小道具を忘れ、ネクタイを忘れ、希望さえも忘れ、失う。

結婚式は自分を愛していないと絶対にできない。

私の場合は、誰かに引っ張ってもらわないと、絶対に挙げられないだろう。

 

だからこそ、妻と出会えて良かったと思うのだ。