蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

YouTube広告の難しさ

YouTubeで流れる広告は、99%、憎まれる宿命にある。

その理由は単純。クソだからだ。

私たちはただおもしろ動画をぼーっと見ていたいだけなのに、広告は白けるタイミングでいきなり入り込み、まったく興味のないことを大声で恥ずかしげもなく喚いてのたうちまわったうえ、極端な言い方をしてしまえば「僕たちにお金を使ってください!あなたのお金がほしいんです!お金大好きです!ほげげげげ〜!!!!」と訴えかけてきて、すべてを台無しにしていく。

オーケストラの演奏中に誰かのケータイ電話が鳴ってしまったときや、セックス中に外から発情した猿の鳴き声がしたとき、楽しい飲み会中に唐突に政治談義を始める人がいたとき、そんな興醒めな出来事と、YouTubeの広告は等しく、価値がない。

でも私たちは広告を足蹴にできない。なぜなら、広告のおかげでYouTubeは成り立っているから。

だからよりいっそう憎まれる。

必要悪。

YouTubeの広告をそういってしまっても、過言ではない。

YouTubeプレミアムに加入すると広告を無きものにできるらしいが、それはしたくないというのが人の心。ケチの心。

 

5秒広告は2連続で入る。これはひとつひとつの広告が短いため、そこまでつらくない。

内容をきちんと見ることはしないけれど、10秒ちょっとで終わるから、憎しみも10秒で終わる。

30秒以上の広告は5秒待てばスキップできるので楽勝。いちばんラッキーかも。

でも、料理中で手が離せなかったりすると少しばかり憎い。だが、料理中は料理に集中しているので、正直広告が流れていようが、べつによかったりする。

いちばん好きな広告は、もはや広告じゃないけど、YouTubeの広告アンケート。スキップできるし、おぜぜ欲しさにケツを振るような猥雑さがなく、無機質で静かだからまったく許せる。こればかり流してほしいと思うし、たまにアンケートに協力することもある。

いちばん許せないのは、15秒のスキップできない広告だ。

15秒広告を出している企業様については、内容如何にかかわらず、ぜんぶ嫌いだ。どれだけ可愛い女優やイケメン俳優を起用しようが、ちょっとインターネットウケを狙ったユーモアを交えていようが、その存在が許される日は来ない。ユダと共に地獄の底で悪魔に咀嚼され続ければいい。

15秒広告を出している企業は不利だ。自ら汚れ役を買っているのだから。

 

さっきもいったように、これだけ憎みながらも、しかしながら広告がないとYouTubeは成り立たないわけで、これをどうにかするには課金してプレミアムになるしかない。

広告を好きになることはなくても、その意義は認めざるをえない。

次第に薄暗い気持ちになってくる。私たちはいつから自由になったと勘違いしていたのだろう?私たちは常になにかの奴隷なのだ。広告や、お金や、欲望や、資本主義や、社会主義や、権利や、権威の。

 

なんで15秒の広告ひとつでこうも心をすり減らさねばならんのだ。

わたしはただ「東京ガス 泣けるCM集」を見たいだけなのに。