職場に、オブラートな表現をすれば貫禄のある、単刀直入に言えば すげ〜デブな人がいる。
いや、いた。
先日、退職した。
その人には、関節と呼べる「節」が体のどこにも無かった。太りすぎていて関節を肉が埋めていたのだ。
背が低いこともあってだろうか、全体としてのフォルムは、木こりが腰掛ける立派な丸太のようでもあるし、サッカー部がグラウンドの隅に置いてる無骨な水筒のようでもあった。遠目には球体に見える。
なんでこんなに太っているのだろう。
一緒に食堂でお昼を食べたときは春雨なんかを食べてたりしてヘルシー志向で、トッピングも野菜中心で、太った人にありがちな早食いでもなく、しっかり咀嚼していていたのに。
なぜ、なのか。
なんて書きながら、理由は明確である。
業務中にその人のデスクからカサカサと音がする。横目に見てみると、お菓子の袋を開けているではないか。個包装のおせんべの袋だ。
バリボリバリボリバリボリバリボリ…
まぁ、仕事中にお菓子を食べるくらいはあることだ。私もたまに食べるし。理解できる。
でも、理解できなかったのは、それが午前中2回目のおやつだったのだ。
朝ごはんを食べていないのかもしれないと、善処する考察。でも、おやつを2回挟んでさらに昼飯を食べるくらいなら朝ごはんをちゃんと食べるか、いっそ朝食を抜くかしたほうがいいのではないだろうか。私なら朝ごはんを食べていない時点で昼までは諦める。食べなくても死なないし。
その球体の人は、午後にも数度のおやつを食べる。夕方にちょっとチョコレートをつまむくらいならわかるけど、それが幾度にも及ぶ。数度というか、継続的ですらあるので、常に、といったほうがより正確かもしれない。
甘いコーヒーを啜り、どこかバツが悪そうに、さっとクッキーを口に放り込むのだ。
誰かから虐げられているように、あるいは、なにかを盗み隠すように食べるので、その姿は物哀しい。
太っていることは悪じゃない。
それは個性。自分を認め肯定することがなによりも大事だ。
だからそれを恥じたり、いっそコソコソ食べずに堂々とモグモグしていたほうが清々しいと思うのだが。物を食べるときくらい、気持ちよく食べていてほしい。それがアイデンティティなんだから。
物悲しいデブの不幸さ加減は周囲にも伝染する。子犬が足を引きずっていたり、ピエロが涙を流しているような薄暗く冷たい悲しさがある。
でも欲を抑えられずにいることは恥ずかしいことだと思う。動物園で猿がいきなり交尾を始めるくらい決まりが悪く恥ずかしい。
なんか病気で常に糖分をとらないとヤバくなるとか飢餓状態であるとかなら話は別だし、夕方にちょっとお菓子をつまむくらいなら全然いいと思うが、それとは関係なく単に純粋な食欲によって、常に業務中にお菓子を食べているのは節操もなく、欲望の下僕ってかんじがする。
自分の野生の部分をコントロールできていない証左だ。
よく、大事な会議中に寝てしまう人がいるけど、それと同等に情けない。電車の中で眠るくらいなら理解できるけど。
恥ずべき行為のレベルとしては、さすがに痴漢の類と同列とは言わないが、「欲望を抑えられない」厚顔無恥さは同系列だと思う。
なにか過大なストレスでもあるのだろうかと心配にもなる。なにかしらの慾に走るのは、食であれ睡眠であれ性であれ、一種のストレスからくる場合もあるのだ。
よくよく思い出せば一緒に昼を食らったときも、その人はヘルシー志向でありながら一人だけこまごまとトッピングを重ねていたし、常日頃から細かい積み重ねがあるのだろうと伺える。
かく言う私もそのとき一人だけ激辛のものを注文して自傷に近い食を楽しんでいたので、人のデブ慾を笑えないのだが。
その人は会社を辞めてしまったが、その人が近くにいたときは、毎朝会うたびに、最近出てきた自分のお腹を意識して、気を付けよう、と戒めになったものだった。
その人が辞めてからしばらくは、お菓子の袋をカサカサと開ける音が聞こえなくなって、寂しかったものだ。