蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

情報過多を生き抜く/AIの使い方〜線引き編〜

報が多すぎるうえに、その情報のほとんどが価値をなさない、というのが現在のインターネットだと思う。

Bingで調べても満足のいく検索結果が得られるわけではない。多くのページが広告に蝕まれて可読性が低く、よくわからんAIがさまざまなサイトを複合的に答えを出してくれるが、果たしてその答えに信憑性があるのか疑わしい。なぜなら、疑わしいサイトから引用しているから。

最新情報をすぐに見つけるのは困難を極め、本当に知りたいことは数学みたいにイコールの先に示されているわけではない。

こうなると「本に書いてある」ことは信頼がおける。ただ、調べるのが21世紀とは思えないほど不便だ。

インターネットで得られる最も信頼性のある情報は、突如出てくる論文のPDFや、専門家組織のサイトのコラムとかで発表していること、国や地方公共団体のサイト、くらいだ。

あと、IT技術者が趣味で書いているITサポートデスクの日記。

彼らはいったいなんなのかわからないけれど、そこに書いてある情報にどれだけ救われただろう。WindowsMacのサポートについては、MicrosoftAppleよりも素人の個人ブログのほうが信頼性があり、情報へのアクセシビリティが高い。

 

////////////////

 

AI、技術の進歩がすごくて、それなのにまだ確定申告はできないらしい。

人間が到達できない段階まで発達した棋譜を並べることはできるのに、一年間の税額を出すことすらできないなんて。

ただ、日々帳簿をつけていれば確定申告なんぞなんら難しいことはないので、これは怠惰な人間が悪いし、AIの手を煩わせることもないだろう。

 

でも、人間にとって「つまんね〜」と思われることはどんどんAIがやったほうが、人類のための道具然とするのではないか。

絵とか音楽、文学とか、そういう楽しいのは人間がやればいい。

芸術分野はただのコンテンツを楽しんでいるんじゃなくて、作品から表出する作者の人間性や時代を読み取っているから面白いのだ。

ただの綺麗な絵、ただの美しい文章、ただの複雑な音楽なんてつまらない。

これを人間が作ったからすごいんだ、という部分も楽しみの一つ。

だからAIが作ったものはどうにもインスタントにしかならないんじゃないかと思う。今見て、今忘れてもいいような、時間を潰すだけのものなら人間が作るのもしょうがないからAIに作らせればいい。

AI絵師って何が楽しいんだろう。

AIに描かせたイラストで満たされるような承認欲求なんて、浅い、薄い、安い。

普通に絵を描く人は、絵を描くのが楽しくて描いているのに(承認欲求を満たすために描いているならもっと経済的で効率的な方法を選ぶべきだ)。

 

AIを使うか使わないか、その線引きは「それAIにやらせておもろいんか?」という問いかけに詰まっている。

AI同士に将棋をさせてすべての棋譜を並べ立てても、それは面白くないから誰もやらない。

いつか完璧な、ミスのないイラストをどのAIも簡単に生成できるようになったら、この分野は一瞬で廃れるのではないだろうか。なぜなら面白くないから。

AIが人間には及ばないような面白い絵を描けるならまた話は変わってくる。

 

仕事にしても同じで、ほとんどの仕事は退屈だし苦痛でもあるけれど、なんかやり終えたときの達成感とか、自分の中に誇りみたいなものが芽生えるなら、AIから守りたい。

そうじゃない人はAIにやらせてのんびり暮らすのもいいだろう。

AIを使うとき「それ、おもろいんか?」と心の中に意志の強い大阪人を召喚して、「はい」か「いいえ」で嘘を混ぜずに返答しよう。