タイに行ったときのことだ。
私と母はバンコクを走る電車に乗っていた。満員で座れなかった。
長い乗車ではなかったし、座れなくても良かったのだけど、座れたらなお良かった。なぜなら、座欲(ざよく)があるのが人間というものだから。
母がタイ人男性の前に立つと、彼は若かった、男性はすくと立ち上がり、母に席を譲った。
日本ではありえない光景だった。
妊婦や老人に席を譲ることはあっても、そのへんのおばはんに席を譲るなんてことは日本ではめったにないし、私も元気そうなおばはんに席を譲ったことはない。なぜなら、自分の座欲を満たすことが大事だから。
母は男性の好意に甘え、座り、サワディカーと言った。サワディカーは「こんにちは」の意味なのでまったく文脈が成立しないが、「ありがとう」と言いたかったのだろう。
男性はそんなわけわからん日本のおばはんに目もくれず、少し離れた吊り革に掴まった。
その男性の紳士的な態度たるや目を見張るものがあった。おばはんの乙女の顔。今思い出しても憎たらしい。
でも、乙女の顔になってしまうのも頷ける。レディーファーストを重んじる紳士的な態度は格好良かった。
私も日本でそうしよう。
そうした。
目の前に女が立ったら、ニヤニヤしながら席を譲ることにした。
「どどどど、どうぞ、おおおおおおおおお、お座り、くだ、くだくだくだくだくだ祭」大抵、女性は私から離れてしまう。
女は男よりもフィジカルが弱い生き物だ。
だから、男は女に優しくしなきゃいけない。それは美徳であると思う。
ていうか、女に格好つけてる男がなんか良い。相対的に男らしさが(男力)がアップする。女を守る男はいつだって格好良い。女を大切にする男は格好良い。女を愛する男は動物的に格好良い。そういうのが私は好きだ。そうありたいものだ。
ただ、女はそんな格好良い男の行動をさも当然のことのように思い、男を女より下の奴隷であるかのように扱ってはならない。男は対価を求めて格好つけているわけではないが、女に奴隷のように扱われると、なんだかなぁ~しょっぱいなぁ~という気がする。
女は女で淑女になるべきだ。
ていうか、みんながみんなに優しくなるべきだ。
優しくすると、優しくされる。
弱きを守り、女を愛し、人々や動物や自然を慈しむ、そんな人間になりたい。みんなそうあるほうが絶対に良い。
弱きを守る?
弱いといえば私の専売特許だ。肉体、精神、ともに弱さの権化である。
私は自分の肉体を姿見で確認した。
その肉体は、比喩的に表現するならゴボウであった。
身長に比較して体重がきわめて軽いため、昔BMI数値を大学の体育で計算したところ、「痩せすぎて危険」と指摘され、赤っ恥をかいた経験がある。そのくらい弱く脆い。
たぶん、その辺の女より弱い。
筋肉が、ない。必要最低限の筋肉しかない。
肌が弱い。粘膜が弱いからしょっちゅう風邪をひく。
小3くらいなら喧嘩で勝てるけど、それ以上となると怪しい。
子ヤギより弱い。
だから
みんなは私を全力で守るべきだ。
優先的に席に座らせるべきだ。
私の座欲を満たすことに命を懸けるべきだ。