もうしばらく自動車の運転をしていない。
村上春樹はエッセイの中でオートマ自動車を「単なる移動手段」と揶揄していたが、そう言われても私はオートマ免許だし、オートマでも車の運転は楽しいものだ。(でもマニュアルの方が自動車と一体感があるだろうし「単なる移動手段」ではなくなるのだろうな)
運転したくても車がない。
そういうときはBeatlesの「Drive My Car」を聴くにかぎる。もっと言うと音源に合わせて楽器を奏でるとよりドライブ感を得られる。
この曲はベースとギターがユニゾン(同じ音を弾いている)で、二つの楽器のメロディラインを耳で追いやすいからよく聴いてほしいのだけど、じつに不思議なメロディを奏でている。
歌のメロディとぜんぜん違う曲みたいだ。ふたつの異なる曲を合体させてみました、と言われてもそうかと信じるかもしれない。
それなのに曲として聴いたとき、歌とギター・ベースラインは調和しており、リズムも相まって腹の底でエンジンがうなるような快感を覚える。
なんだろうこの曲は。大好きだ。
短いイントロについて語るべきことがある。ビートルズにはそういう曲が多く「Drive My Car」のイントロもご多聞に漏れない。
ギターの転がるようなメロディはたぶん、車のキーを捻ってエンジンに着火し空気が入り込むときの音だ。ガスコンロに着火するときに似ているあの音。ガチチチチチ、と車が目を覚ます音。
そして3拍目の表の裏みたいな絶妙のタイミングで入ってくるベースの太い音はきっと、エンジンのブルルンという唸りだ。
まったく天才的なタイミングで、しかもこのタイミング以外にはあり得ない。排気ガスのにおいまでしてきそうだ。自然発生的だけどドラマチックで、何気ないのが格好良い。
このイントロの「これから車を運転する」かんじは演奏してみるとなおよくわかる。一緒に弾いてみると、これは馬でもなく自転車でもなく飛行機でもなくサーフィンでもなく、自動車に他ならないという確信めいたものがある。イントロの終り、歌へ入る直前の四分音符(たぶん)はドアを閉めたあとの余韻すら含んでいる。
歌詞に出てくる女は「私はそのうちスターになるから、あなたは私の車を運転なさい」と言う。「きっといい思いをさせてあげるから」
男は「今すぐにでも運転しよう」と言う。
でも実は女は車なんて持っていなくて、「さきに運転手を捕まえたのよ」とチャーミングに笑う。(きっと笑ったはずだ)
それで、まぁ、やれやれ、って感じの、ただそれだけの歌なんだけど、結局僕たちはいつだって女にノせられてる。もちろん、好きで。
男女ってちぐはぐな存在で、右車線と左車線みたいにすれ違うことも多いけれど、ギアのように噛み合えば大きな感情を動かせる二人でひとつの関係でもある。
それはソングラインとギター・ベースメロディのそれぞれの奔放さと調和の関係によく似ている。
間違えたところを何回か繰り返す。
サビのピアノは裏拍で入る(多分)のだけどそれが表拍のギターとずれていて気持ちが良い。あ、ここで入るのね、ってずっと意外なのだ。このズレを感じるたびに、車の窓の外の流れる景色をイメージする。光。音。風。
ギターソロをなぞり、サビに戻り、また冒頭へ飛んで、最後はどこまでも走り続けるアウトロのその先に思いを馳せる。
ダウンタウンの真っ直ぐな通りが目に浮かぶ。
この曲は私をどこかへ連れて行ってくれる。単なる移動手段ではない。