蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

やれやれ、僕は……

 上春樹の有名な文章といえば「やれやれ、僕は射精した」だけど、はたしてそんな文章などといったものは村上春樹の小説内に存在しない。完璧な絶望と同じように。

 誰かが作ったデマである。

 たしかに似たようなシーンはあるけども、「やれやれ、僕は射精した」という文章を村上は書いていない。捏造である。

 しかしながら、この「やれやれ、僕は射精した」は村上春樹の小説をひとことで良く表した文章であるとも言える。「こんなこと書いてたかもしれない」と思わせる。書いててもおかしくないのだ。書いてたかもしれない。

 

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 射精「やれやれ」は一見対比的な言葉の並べ方だけどここで重要なのは「射精した」という過去形の部分である。

 男は射精すると「やれやれ」という気持ちになる。

 私も「やれやれ」とつい言ってしまう。

 

 なんだろう。

 

 つい一瞬前の熱情は急速に冷却されて、俯瞰して自分を見ているような気分になり、こんなことして情けないような、寂しくも愛しいような、愚者のようであり賢者のようでもあり、結局のところ私は動物で、どこまでいっても人間なんて内には野生を秘めているんだなぁと、悲しくも嬉しくなる。シンプルに複雑だ。

 隣の恋人をもう性的なものとしては見れず、ただ愛しい存在になってしまう。

 それで充分だと思うけど、性行為には性欲という健全な動物がいて、そいつがいないと純正の愛は育めないんじゃないかと思う。あくまで自然なかたちとしての。

 動物と人間が内側に両立しているから、たぶんバランスが良いのだ。

 女には女の事情があり、男には男の事情がある。男はそのふたつの内なる生き物をうまく両立させて歯車をきっちり合わせてやらないと上手く機能しなくなり、あるいは暴発したり事件を起こしたりと、日ごろのメンテナンスが欠かせない。

 単純だけど複雑なのだ。

 そしてうまく野生を飼いならせない男は、男じゃない。

 

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 「やれやれ」と言ってしまってから、「しまった」と思った。

 男には男の事情があるように、女には女の事情がある。うまくできた男なら行為後に「やれやれ」なんて言って女の存在を蔑ろにして言うもんじゃない。女の熱は長引くのだ(あるいは最初から冷めているのかもしれない)。

 私は「よしよし」と言いなおして、彼女の頭に腕を通して寝ころんだ。

 

「からだが熱くなってるね」彼女は私の首に触れて言った。

「とても暑い。ホット」

「ホッテスト」

「I am hotter than she.」冷静思考の私ははやくもまどろんだ頭でそんなことを何気なく呟いた。すると彼女は言った。

「than herじゃない?」

「ザンハー」

「どうだったっけ。忘れちゃった」

「あれだけ受験英語をやったのにね。たしかに、thanのあとは目的格が来るのだった」

「目的格?」

「 she-her-her-hers 代名詞の活用。目的格はO(オー)だ。SVOのO」

「なんだっけそれ」

 ここから、冷静さを備えた賢者の私の口は、思うがままに言葉を垂れ流した。

(以下、読み飛ばし可)

「英語の文型だよ。SV、SVC、SVO、SVOO、SVOC。あれ?SVOOなんてあったっけ。はは、すっかり忘れてやがる。えーとね、たしか、SVが主語と動詞だけなんだよな。I run.(私は走る。)みたいに。主語と動詞だけで独立して文章を作れるいちばんシンプルな文型なんだ。SVCがbe動詞を使うやつで、SとCはイコール関係になる。I am a man.(私は男です。)『私』と『男』は同じもので、イコール関係みたいな。be動詞があったら間違いなくそれはSVCだ。SVOは動詞の行先を伴う目的格が入る。例えばI hate you.(私は彼を憎む。)憎むという動詞の対象が必要になるんだよ。この対象こそが目的語であるのだよな。例文が悪かったね。I love you.の方がいい。そんでSVOOだけど、はは、うまく思い出せないな。makeってSVOOの文型を作るんだっけ?She makes me happy.(彼女は僕を幸せな気持ちにする。)みたいに。あれ?でもこの場合、meとhappyはイコールの関係になれるから、というものさ、これってつまりI am happy.ってことだから、やっぱこれってSVOC文型かな。いやぁ、もう全然忘れてるね。高校生の頃これだけは得意だったんだけど、もう高校なんて6年くらい前だから。怖っ。……じゃあSVOOってなんなんだろうね。目的語がふたつあるってよくわからないな。I give you love.(あたなに愛をあげる。)とかかなぁ。あれ?この英文間違ってない?loveって不可算名詞?だよね。合ってるわ。数えられないよ、愛は。そもそもさ、愛ってひとつなんじゃないかな。どうなんだろ。いろんなものに向ける愛や程度の差があるけど、結局のところ愛のしくみというか構造って同じで、そのしくみのことをloveとひとくくりに言うのなら、たしかにひとつしかないわけだから数える必要がないわけだ。一つしかないものを数えることはできない。たくさんのものを数えられないのと同じように。星の数は数えられても星空の数は数えられない。いや、星の数も数えることはできないね。なるほどね。いやぁ英語ってむつかしいね。本来こんなこと考えないで使えるはずなんだけど、こういうのを教えて理論的に英語をやるから中学高校と6年間英語をやってもまったく使えるようにならないんだよな。こんなことなら英語教育をやる前に国語教育をもっと実践的にやるべきだよね。国語の時間だって少なくてろくな文章すら書けるようにならないんだから。だいたい作文とか定型のものって気に食わないんだよ。型どおりじゃないからバッテンなんて、必死に書いた文章が哀れすぎる。だから皆、書くのが嫌いになるんだ。もっと自由でいいと思うんだよね。書類とか手紙とか公にする文書みたいなちゃんとしたやつはそれはそれで書き方を習うとして、そもそもの書くよろこびみたいなものを身につけた方がのちのち……」

 

 恋人は儚くも私の腕の中で眠っていた。

 

「そんな話したいんじゃないよ」と寝言で言われて、私は口をつぐみ、「やれやれ」と思った。決して口には出さない。