蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

道徳観と不倫について

  子は親を敬えとか、親孝行とか、老人を大切にしろとか、そういう慣習や道徳観みたいなものは、たぶん実際に親になった人や老人が考えたものなのだろうな、とおもう。

 勝手に生み堕とされて、その瞬間に100%の「死」が約束されるのは摂理なので仕方が無いとしても、親類関係の責任が生じるなんてちゃんちゃらおかしい。しかも押しつけがましい。そんな道徳を「子ども」が考えるだろうか?

 

 人間は自分に都合の良いことを考える生き物なので、おそらく孫や子どもに自分を大切にしてもらいたい老人が「老人は敬え!」と言い出したのだろう。

 ほんとうに優しく、他人の悲しみを自分のことのように悲しめる老人であるならば、そう考えないはずだ。

 

 あるいは権力者の老人を利用して儲けようとする商人や若者が「老人を敬え」という道徳観を生み出したのかもしれない。その方がありそうな気もする。

 

 かまってほしくて「老人の言うことはよく聞いて、尊敬しろ!」と言っていたとしたら、人間くさくてちょっと愛おしい。

 

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 よく、「尊敬する人は?」という質問に「両親です」と答える人がいる。面接で言う就活生がいる。

 よっぽど知見と世界が狭いのだろう。

 それかよっぽど立派な両親なのだろうと話を聞いてみたら、概して普通であることが多い。普通に育ててくれることがどれだけ大変なことなのか、さも自分もその苦労を知っているかのように語る大学生。

 そういうことは社会に出て働き、子育てを経験してからじゃないと言ってはいけない

 たしかに、想像しただけでも子育てや労働は大変そうだ。

 だけど、たとえばサザエさん家や野原一家みたいに、ふつうに育てようとしてふつうに頑張り、ふつうに家族を愛するなんてことは、尊敬に値するものではなく、子どもを産んだ以上大人としての当然取るべき責任であり、義務だ。

 それができていない大人が多いってだけで、本来尊敬すべきことではない。

 「当たり前」のことなのだ。

 その「当たり前」ができない環境になってしまったなら、一生、過去の選択ミスと行動を反省した方がいい。子どもは自分の分身ではなく、違う考えを持つ他人なのだ。他人に対して責任を負う以上、もっと自分に厳しくなれ。

 

 だから子育ては大変だ。

 自分にかなりストイックになって滅私せねばならない、修行だ。

 よっぽどストレスもたまることだろう。かなりの覚悟が必要だ。

 そういった点では「両親」とやらは尊敬に値する。私には自信が無い。そういう環境で育たなかったから。お手本がフィクションの世界にしかない。

 

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 不倫のニュースを見ると本当に気分が悪くなる。

 不倫によって家庭が滅茶苦茶になり、「一般家庭」で育った人たちに備わっているなにかを一部欠落し、将来的にも不安な状況に陥らされた身からすると、不倫はほんとうの悪だとおもう。

 アンジャッシュの渡部は許しがたい。

 私の「父親」とかなり似ているかんじがするからだ。(便宜上「父親」と書いているが、普段は「あの男」「ゴミ男」「死体」「汚点」「呪い」と呼んでいる)

 

 アンジャッシュの渡部は今後一切テレビもラジオにも出ないでほしい。YouTubeに出たら違法報告をしよう。一生穴倉で暮らしてほしい。一日一切れのパンと雨水と干し草でギリギリしのいでほしい。で、幸せな生活を送る佐々木希の映像を穴倉に常に流し続け、自分の過去の仕事(映像)をずっと流し続け、それを延々観賞させて、裸で涙を流し続けてほしい。

 それで7年くらいしたら釈放されて外の世界に出てきてほしい。それで「元の生活には戻れない」ということを噛みしめてほしい。成長して見る影もなくなった我が子にカツアゲされてほしい。

 最後は自分から死んでほしい。できるだけ苦しめる方法で。生きながらセルフ鳥葬してほしい。

 

 そのくらい、不倫というものを私は憎んでいる。

 

 いっときの欲望の過ちが損なうものは、仕事や金や信用だけじゃない。

 もっと大きくて、広くて、どこにでもある、大切なものなのだ。

 子どもは歪んで、こういった文章を書くように育ってしまう。