蟻は今日も迷路を作って

真面目な話からそうでない話まで。本当の話から嘘の話まで。蟻迷路(ありめいろ)という人が書いてます。

悲しき吾がユリイカ

 家やミュージシャンに対する定番の質問といえば「どんなときにアイデアを思いつきますか?」である。

 散歩しているときだの、カフェでくつろいでいるときだの、風呂に入っているときだの、人によってさまざまだ。思いつくときに思いつく、なんて漠然とした人もいるけど、中でも多いのは「歩いているとき」だろう。

 御多分に漏れず、私も歩いているときに鼻くそみたいなアイデアを思いつきやすい。

 景色のなかにアイデアを閃くこともあるし、しきりに妄想に埋没して犬の糞を踏んだ拍子にブチュリと思いつくこともある。ちゃんと前を見て歩かねばならない。

 歩くとアイデアを司る神経が真っ直ぐに直立したような感じになって、体の歪みが矯正されたように思考の道が姿勢よくなり、よからぬことをたくさん思いつく。そこで思いついたものを加工して小説にしたり、こうしてブログに書いたりする。

 

 昔、どうしてもわからない数学の問題があって、机の上で数時間考えても解答の手順を思いつけず、諦めて頭の中を空っぽにして散歩に出たところ、忽然と解を導いたことがあった。

 こう書くと数学者みたいで格好良いけど、中学生のたぶん連立方程式あたりの文章問題の話だ。

 でも、歩くことによる思考整序効果はそういった経験で裏付けられており、哲学者をはじめとする偉人の話でも散歩中に閃く話が出ていたりするから、やっぱり直立二足歩行を得意とする人間にとって歩くことは生命のダイナミズム的な力をもって思考の糸口を見出す効果があると思われる。

 

 この、解を導く瞬間にはユリイカがある。

 ユリイカとは、発見、という意味だ。なにかとらわれていたことから解放されること。突破口を見出すこととそれに伴う解放感として使う(私は)。アルキメデスがなんかすごい発見をして「Eureka!」と叫んだことは有名な話だ。

 ユリイカには一日の汗でべたつく肌をシャワーで洗い流したときのような、爽やかな解放感がある。ホテルの整えられた冷えたベッドに倒れ込んで旅の疲れを癒したときのような安らぎがある。あるいは、我慢していた尿を大量放出している小便小僧になったときのような快楽がある。

 

 そう。

 

 私は、放尿中にアイデアを思いつきやすい。

 

 ここまでの話はすべて前フリだ。

 どんな時に小説やブログのアイデアを思いつくか訊かれたら、私は迷わず「放尿中」と答えるくらい、放尿における思考のユリイカが頻発している。

 歩いているときももちろん思いつくのだけど、頻度としては放尿中の方が断然多い。

 悲しい。

 格好悪い。

 放尿中に思いつくと、あっあっあっ、と呻き、このアイデアは絶対に逃さないようにしようと急いでしまうため、残尿感がある。頻尿になってしまうね。

 

 放尿に伴う思考の突破。

 私のアイデア回路は膀胱に直結しているのだろうか?嫌な話だ。悪いことを考え続けていたら血尿になりそうだ。

 放尿による、あの開放的な解放的感覚が、思考回路の突破口を刺激するのだろう。

 ちょうど、用の最中は頭空っぽにしているからなんの滞りもなくて、いくらでも夢を詰め込める。チャラヘッチャラって具合に。

 

 ちなみに、うんこ中は思いつかない。

 ちなむほどの話ではないな。

 私は下痢症の気があって、便意には常日頃悩まされているから、直腸はアイデア回路に結び付いていないのだ。ゆるゆるなので、開放的解放のユリイカはわざわざ発生することはない。あるいは便秘気味ならありえるかもしれない。

 

 ほんとうに、ちなむほどの話ではないな。