7月2日、ベッドにごろんとしていて、窓を開けて、夜のにおいを嗅ぎながら、もう7月なのにぜんぜん7月って感じがしないなぁと思って、私は毎年の7月にやることを忘れていたことを思い出した。
bloodthirsty butchers(ブラッドサースティブチャーズ)の「7月」を聴いていなかったのだ。
ああ、これこれ。
これだよ、7月って。
暑さが増して、うだるような湿気と陽炎、それなのに時折思い出したように吹く風がどの季節よりも爽やかで、夕暮れの空に泣きたくなってしまうようなこの感じだよ。
bloodthirsty butchersは稀有なバンドだ。
ボーカル&ギターの吉村秀樹が2013年5月27日に亡くなったのは忘れがたい。なぜなら、この日が私とブチャーズの出会いだったのだから。
ネットニュースで吉村の死を知り、当時バンド熱に浮かされていた私は「聴いたこともないバンドだな」と思ってYouTubeでブチャーズを調べ、この「7月」を聴いてみた。
ジャイアンみたいな見るからに武骨な男が歌うのだけど、びっくりするくらい下手くそで、なんなんだこれは、とまずそこが衝撃的だった。
一回聴いて、もういいかな、と思ったのが第一の感想だった。
だがその感想とは裏腹に、私はもう一度聴いていた。
もう一度聴き、もう一度聴き、何度もなんども再生した。
聴くほどに歌の下手さが気にならなくなったし愛しくなって、そして気が付けば、後悔していた。
なぜ、吉村さんが死ぬ前にこのバンドを知ることができなかったのだろう。同じように死をきっかけにブッチャーズを知ったバンド仲間と悲しみ合った。
あまり新品のCDが売っていないので、ディスクユニオンとかブックオフとか、中古CDショップを駆け回っていくつかのアルバムを手に入れた。もちろん、「7月」の入っているEP盤『kocorono』も買って、これを聴くために安いけどターンテーブルも買った。
ライブハウスの人にブッチャーズが好きですと言うと、知っている多くの人はとても好意的だった。自慢気に、おれはブッチャーズの入ったライブハウスで働いてたんだとか、ライブの凄さは尻がぶっ飛んでいきそうに凄かっただとか、今ではもう体験できない伝説を語ってくれた。
ブッチャーズはリスナーを選ぶ音楽だ。決して万人受けはしないだろう。だからこそ、ブッチャーズが好きだという人とは、いくらでも仲良くなれる気がする。
こうしてブッチャーズにはまった私たちは登下校中よく聴いて、家でも聴いて、勉強せずにひたすら浸かっていた。
聴けば聴くほどブッチャーズは良かったし、そして聴くほどに悲しさは募った。
出会いが死なんて。
ブッチャーズの良さを語ろうと思えばいくらでも語れる。語っているうちに飲食と眠ることを忘れてしまうだろうから、きっと死んでしまう。
ブッチャーズの音楽は誰にも真似できない、オリジナリティの塊である。一般聴衆には理解されず、振り向いてももらえず、血と肉を削って奏でても響かない人には響かない。孤高のバンドで、孤独なバンドだ。
だけど、それがどうしたってんだ。理解されてたまるか。
ブッチャーズの音楽は、吉村さんの歌は、そう聴こえる。
だけど、その理想は良いとしても、理想だけじゃメシは食えない。飯を食わなけりゃ理想は追えない。売れたいけど売れたくない。そんな葛藤が、音楽として魂を揺さぶり、心の奥深いところで共鳴する。
痛いまでのドラムス、多層空間を想起させるベースライン、血と肉を削る歌声と、あまりにも美しく歪(ひず)んだギターが、心の季節の中で、私だって知らなかったまだ言葉になっていない感情を張り裂けそうなくらいに膨張させる。
だからこそのロックなんだ。
「7月」を聴きながら、7月が始まったなと思う。
毎年同じようにやってくる私の7月は、2013年から終わることなく鳴り響いている。