爆音で聴くべき音楽というものが存在する。
爆音で聴かなきゃミュージシャンに失礼にあたる、そういう音楽が、バンドが、存在する。
私にとってそれは「NUMBER GIRL」や「ゆらゆら帝国」や「bloodthirsty butchers」だ。
ヘッドホンの中、自分の心臓の音も血流の音も聴こえないほどの爆音で、自分を失うほどの、宇宙を突き放すような爆音で、NUMBER GIRLを聴いていると、気分が良くなる。
なんていうか、頭の中の鬱屈の靄が晴れていく。
よく冷えた、新鮮なミントをあしらった濃いモヒートを飲んだような気分になる。
爆音は透明で、空気を貫いていて、鋼鉄の弦が空を震わせ、鋭くどこか寂しい。我を忘れられる程、強烈に、焦がれる。
ああ、向井秀徳になりてぇ。
田渕ひさ子のギターになりてぇ。もう、性的に田渕ひさ子のギターになりたい……。
ゆらゆら帝国「ゆらゆら帝国で考え中」なんて、聴いてて嬉しくなって、感謝の気持ちが湧いてくる。
ありがとう。ありがとうございます。
ゆらゆら帝国は、私の、おれの、言いたかったことを代弁してくれている。
言葉にできなかったことを、音楽にしてくれている。
ボロアパートの4畳の夏の部屋で、万年床の上で世界の転覆を目論んでいるような鬱屈を、誇大を、自我の目覚めを、善悪の無い純粋を、歌ってくれる。
バンドサウンドに昇華している。
「空洞です」も名曲だ。
bloodthirsty butchers(ブラッドサースティ・ブッチャーズ)は、もうなんて言えばいいのだろう。
まことに稀有なバンドだったと思う。
人生でこんな曲を一曲でも作れたら勝ちだな、そう思えるほどの曲をいくつも、奇跡みたいな音楽をいくつも作りだしてきた。歌の下手くそさなんてなんの問題もない。
ブッチャーズを言い表せる感情の感覚は言葉にしずらくて、「ブッチャーズ的感情である」と言ってしまいたくなる。
そんな歌詞を書くし、ギターはものすごく繊細で風の流れに音楽があったらこんな音だろうって感じがするし、ベースはとても、とても、憂鬱にうねってメロディアスで、ブッチャーズのサウンドを決定的にしていて、とても、とても、素晴らしい。ドラムスの固くて重いタイトなサウンドも良い。
だけど、心がすぐに晴れやかになるかというとそういうわけではなく、どちらかというとカタルシスがある。
生きるのが下手くそな僕たち、なにをやってもうまくいかない僕たち、教室の隅で革命を目論んでいる陰な僕たち、そんな僕たちの、圧倒的疾走。
散文とブルース。
打ち勝つことはできなくても、前進はしている。首をもたげながら全力疾走している。それはあるいはゴールに向かってではなく、逆走かもしれないけど。
そんな感じで胸がいっぱいになる。
ボーカルの吉村さんが亡くなってもうすぐ7年が経とうとしている。
私がブッチャーズを知って、7年ということになる。