BeatlesのYesterdayを久しぶりに聴いた。
言わずと知れた名曲だ。
久しぶりに聴いたら、名曲すぎて腰が抜けるかと思った。
夜道で聴いてたんだけど、ふと立ち止まったもんな。
月、いつもより綺麗に見えてビビった。
この曲にはそういった類のパワーがある。
しばらくの間は、ほかになにも耳に入れたくないと思った。メロディの残像が体の芯に沁み込んでいくのを感じていたかった。
Yesterdayを聴くと、古いアイルランド民謡みたいな牧歌的な風景が目に浮かんでくる。
広陵とした丘には羊の群れがいて、背の低い草を食み、冷たい海風に吹かれている。夕焼けのわずかな温もりを受けて、羊の背中が光っている。
イギリスの田舎に行ったことが、ない。
行ったことがないのでわからないが、Yesterdayを聴くと、その場所に立ったような気持ちになれるのだ。
その場所は事実上そこにあるわけではなく、ただ私の心の中にある。永久に夕暮れのなかにある羊の丘は、私の中では真実の場所だ。
優れた作品は、音楽にせよ、文学にせよ、その人の心の中にある真実の情景を見つけ出してくれる。
Yesterdayはどうしてこんなに郷愁を誘うのだろう。私がずっとずっと、古い時代に、きっといただろう心の中の羊の丘に、けれどもいたことのない羊の丘に、懐かしいと思わせる。
わからないけど、宇宙人が聴いても、懐かしいと思うのではないだろうか。故郷の星の夕暮れの街並みを思い出すだろうか。
Yesterdayのような曲を人生でひとつでも作れたら、その音符の羅列が墓標となっても良いほどに素晴らしい仕事をしたといえるだろう。
それなのにポール・マッカートニーはこのあとも数々の名曲を生み出し、音楽の世界を最前線で羽ばたいてきた。信じられないことだ。
Yesterdayで人生を使い切ってもおかしくないのに。
この曲は100年先も残ると信じてる。こんなにいい曲が残らないなんておかしいよ。
Yesterdayを聴く前の世界の人類と、聴いた後の人類では、きっとなにか心が大きく変わっただろう。
変わらないとおかしいはずなんだけど。