彼女は16歳だ。
可愛いものに目がなくて、ころころ笑い、さっきまで言っていたことと違うことを言いはじめ、よく考えているようでいて全然考えていないのだけど、そう見えて意外と思慮深くて、時折見せる大人っぽさにドキリとする。
私は40歳だ。
実は、40歳なのだ。
若者の間でなにが流行しているのかよくわからないし(流行といえば病気のことばかりだ)、最近一番好きなことは休日に昼間からビールを飲むことくらいだし、好きな音楽は20年前だし、愛されたいのならこちらから愛さなければ愛されないが、愛されるために愛するその愛は本当の愛ではないということを、とっくに知っている40歳なのだ。
そんな私が見返りもなく純粋に愛する恋人は、16歳の彼女だ。
恋愛に年齢は関係ないけど、あかんな、とも思いつつ、いいな、とも思う。これだけの年の差なのに私たちは気が合う。
40歳の私と、16歳の彼女。
気は合うけれど、趣味はまったく合わないし、好みも全然違う。
たとえばいっしょにテレビを見ていて、私のセンスでは格好良い男と思うが出ていたら、彼女は「タイプじゃない」と言う。
逆に、彼女が「この人格好良い」と言った男は、私にとって全然格好良くない。彼女は子どもっぽい男がシュミなのだ。それなのに私と付き合っている。おじさんの私と。
食べ物の好みも違う。私は発酵食品や辛いものが好きで、辛ければ辛いほど、臭ければ臭いほど、クセのあるほど好きなのだけれど、彼女はそういうのを好まず、淡白なものが好きだ。子どもっぽい味覚なのかもしれない。
彼女はあまり本を読まないし、私はファッションに興味がない。
彼女は美味しい食事処を探すのが好きだけど、私は別に好きじゃない。
全然違う人間なのだ。
私と彼女は、年齢以前に、異なる人間なのだ。そんなことを、彼女と過ごしているうちによく思う。
だからこそ、大切な他人として愛を抱けるのだ。異なるから私たちはとても良いのだ。異なるからこそ、他人だからこそ、大切にできるのだ。かけがえのない存在になれるのだ。のだ、が多いのだ。
彼女といると、とても心安らぐ。
40歳と16歳であったとしても。
40歳と16歳。
40歳と16歳。
40歳と16歳。
40歳と16歳。
精神年齢がね。
リンクを貼ったサイトで精神年齢測定したら、私は40歳で、恋人は16歳だった。実年齢は23歳である。40歳か〜〜……。「パパ」じゃん。