蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

「おじさん構文」の魅力

 じさん構文、と呼ばれるものがある。

 

 たとえば下記のようなものである。

 

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 これは私が書いた「おじさん構文」で、こう書いてみるとまだまだ不勉強だなぁと痛感させられるので、あまり晒すのは恥ずかしいのだが、インターネットに転がっている他作者の「作品」を引用するわけにもいかないので、忸怩(じくじ)たる思いで掲載した。

 

 私は、「おじさん構文マスター」になりたい。

 私には夢がある。おじさん構文マスターになることだ。

 この世にはさまざまなマスターがいるけど、その中でも最悪の部類に属するマスターだろう。「嘘松マスター」と同じくらい最悪だ。

 だけどそこに痺れる、憧れる。

おじさん LINE】で検索すると上記のような気味の悪い文章がわんさか出てくるので、是非とも見ていただきたい。

 

 ↓

 

 援助交際(またはパパ活、もしくはデリヘル)で知り合った女の子におじさんが送る真心こもったLINEやメールには味わい深いものがある。

 その文章には、真心という名の下心がありありと読み取れ、どうやったら今晩にでも会ってホテルへ連れ込めるか おじさんなりの苦心と努力がうかがえる。直球のカーブボールのような文章なのである。

 

 やたらと絵文字を使って、若い子に年齢は離れていても精神年齢だけは近いんですよアピールをしようとする。それがかえって「おじさん」たらしめている皮肉。

 やたらと句読点が多く、まるで加齢臭と煙草臭と共に耳元で囁かれているかのような不快感。

 なんか微妙に文脈が合っていない唐突さ。

 絵文字と顔文字の不適切さ

 そもそも日本語がおかしい。

 「チャン」表記。

 だけど挨拶は欠かさない。なぜなら、挨拶は礼儀だから。

 行間から読み取れる「君のために頑張ってる格好良い男アピール」と「君に甘えたい、年齢とギャップのある可愛い男アピール」

 その両方について考えだすと、日本人男性の包まれている母性社会の病理とか文化的な男尊女卑と深層心理のギャップとか男女平等社会の希求とその絶望、ひいては少子化などさまざまなことを考えさせられ、この国に未来はないのではないかと悲しくなってくる(実際、未来はない)。

 

 おじさん構文とは、たったあれだけの文章で、さまざまな思惑が読み取れるにもかかわらず、その根底にあるのは「下心」だけという、まるで時間の無駄みたいな読むにも価しない文章なのである。

 下心、どころじゃない。

 底なし沼に無いと言われていた「底」に落ちているような、観音様だったら泣いて救済をして煉獄(れんごく)へ連行するレベルの、現世ではもはや救われないほどの下心なのである。

 底心。

 なんて浅ましく汚らしいのだろう。

 

 そんなおじさん構文が私は好きでたまらない。

 どうかしちゃってるのだろうか?

 この楽しさは、たとえばお化け屋敷に入ったり、バンジージャンプしたり、激辛料理を食べたりすることと似ている(これらアクティビティと並列するのも失礼だ)、スリル感というか、怖いもの見たさ、なところがある。

 誰かが必死に書いた文章を「怖いもの見たさで笑いものにする」なんて最低だ。私には文章を書く資格がない。

 

 そう、おじさん構文は「必死」なのである。

 思惑、婉曲、苦心、欲望、理性、さまざまな書きたいことを おじさんなりに配慮して(結果としてメッセージを送ることそれ自体が「配慮」とは程遠いのだが)、時間をかけて書いているのだ。

 皆さんも一度おじさん構文で書いてみるといい。

 これが結構大変なのだ。

 それなりに時間がかかる。

 書き終えたとき、達成感よりも「無駄無駄無駄無駄」って声がこだまするので、ぜひ試していただきたい。

 

 

 恋人がたまにLINEで「おじさんやって」と言うので、私は頑張っておじさんぽいLINEを送る。

 そのうち恋人もおじさんぽいLINEで返してくるので、ぱっと見、最悪のLINE画面ができあがることになる。