蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

ひこうき に のったよ

  行の楽しさのピークって、出発の空港だと思う。 違う世界に行く、ということを強く意識させられる。

    あの空港のにおいとか、アナウンスのキーンコーンカーンコーンってチャイムとか、動く歩道、忙しない人やのんびりしている人、さまざまな地域、国の人がウロウロしていて、すでに異国の予感があるし、空港にしかない特殊性が血を騒がせる。

    搭乗口のベンチに座って飛行機を見つめるだけでなんだか気分がいい。

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    線に沿ってきちんと停留している飛行機は、格式高いハイヤーの運転手のように見えるし、よく調教された血統のよい馬のようでもある。私たちが乗るのをじっと待っているのだ。

 

    それにしても飛行機って大きい乗り物だ。

    大型客船や空母の次に大きい乗り物なのではないか。一見すると乗り物というより、おかしな形の家に見える。

    家には見えないか。

    でも、私が江戸時代からタイムスリップしてきたお侍だとしたら、飛行機を見てこれを乗り物だとは思わないだろう。

 

💁‍♂️「いや、乗り物なんすよ笑 どうやって移動する乗り物だと思う?」現代の案内人が私をからかう。

🐜「ううむ……車輪がついているな。地面を走るのではないか?あの、バスとか申す鉄牛みたいに」

 

    空を飛ぶ、なんて発想はまず出てこないだろう。

    両側に付いている腕のようなおかしな部品が「翼」だと言われても、それが空を飛ぶとは思えない。

    当然だ。鳥が空を飛べるのは、小さいからだ。巨大な金属の塊が高速で飛行するなど誰が考えられるだろう?そういう者は戯作者にでもなればいいのだ。空を飛ぶなんて妖術の一種だ。歌舞伎や浄瑠璃の世界だ。

 

💁‍♂️「あはは。だよね〜笑 あれ、空飛ぶんだよ笑」

 

    バカにしやがって。

    拙者を愚弄する輩は許せぬ。武士の魂を穢すな!

    そこで拙者は目にも留まらぬ速さで鞘を抜き、白刃一閃、「ぎゃああああああ!」男のまぶたを縦に裂き、鼻を削ぐ。

    二度と目を潤すことはできないし、花の香りを楽しめない。

    拙者は残酷なのだ。

 

 

    話が大きく逸れてしまったが、飛行機とはいいものだ。

   空を飛ぶという人間の原始的とも言える憧れを叶えた乗り物なのだ。

   とてもロマンがある。

   人間のたゆまぬ努力と進化、科学の力は空を飛ぶ夢を叶えるために発展してきたのだ。

   その尊さを想うと、人間て素敵だなとか、人間のそういうところは神様が作ったものでなくてよかったなと誇りに思えるのだ。

 

    飛行機のフォルムにはいっさいの無駄がない。合理的で論理的な構造だ。

    空を飛ぶとはそういうことなのだ。

    飛ぶために人は翼ではなく、思考を使っている。思考は空を飛ぶことを考え、そのうち本当に空を飛べるようになる。それには数千年かかったけれど。

    人間て思考のかたまりで、思考って可能性のかたまりなんだなぁと思ったら、私はどこにでも行けそうだった。    

 

   空はどこまでも繋がっている。あの世でさえも。