蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

負けても親の墓には参らねぇ

  父がくたばって以来、半年ぶりに墓へ行ってきた。

    四国の島、ど田舎である。

    瀬戸内海に面し、美しい青と光がある。静けさがある。山々の静謐な緑があり、柑橘畑に青い実や少し色付いた実がつぶらに風に揺れている。それ以外には何もないのだが、人生ってそれだけでいいんだな、と思えるような、そんな素敵な島に、祖先の墓はある。

 

    伯方島、という島で、塩ソフトを食べた。

    ドルフィンファームしまなみ、というところで食べられる。

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    甘じょっぱくて美味しい。

    私はソフトクリームを食べるために生まれてきたんだな、と思いたくなる、美味しさと太陽だった。ソフトクリームは暑い陽の下でダラダラ垂らしながら食べるにかぎる。

 

    瀬戸内海は湖のように静かで、鏡面のように波がない。透き通っていて、空の青をうつす。海面ギリギリまで森の緑が迫り、北欧のフィヨルドみたいだ。

    美しい青ってこういうことを言うんだな、と穏やかな気持ちになれる。うちの地元の海とは大違いだ。地元の海は猥雑で、黒い。ここの海は憧れのように青くて透き通っている、幻想の青春みたいだ。

 

 

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   父の、というか先祖の墓は、この美しい瀬戸内海の、こじんまりとした寺にある。

   島は過疎化が進んでいたり、多くの檀家が島を出て行ったため、墓参りに訪れる人が少ない。だが、花で賑わっている墓地だ。

    その花は、台風が来ても、秋になっても、冬になっても、枯れることはない。

    造花だからだ。

    どの墓にも造花が差してあり、その色は虚ろに見える。

    数年に一度しか来ないし、住職以外に管理をしてくれる人もいないというので、気を遣って造花にしているのだが、あまりにも空虚というか、ある意味で心がこもっていないというか、墓参りとはそういうものじゃないんじゃないの?と思う。

    墓参りって、合理性ではないんじゃないの?と思う。

    造花には造花の心があるのかもしれないけど、花は枯れるから自然なのであって、故人は枯れない花を見て喜んでいるのではない。遺族の訪問を喜んでいるのだ。

    頻繁に来られなくても、来たことを誇りに思うといい。後ろめたさを感じることなんてない。

    後ろめたいから造花を差している、その姿勢が気に入らない。

 

 

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    父が死んでから、相続関連で本当にいろいろなことがあった。

    父の最後の妻(3人目の妻。私の母は2人目の妻である)は気が狂っていて、父が延命治療を受けている最中に遺産相続の話をしだす人間だったのだが、そういう人間性なので現在周囲の信用を一切失っていて精神を病み拒食症気味になって幽鬼のようで、それなのに異様に元気というか刺すような痛い力強さがあり何を考えているのか底知れず、話がまったく(一切)噛み合わないしこちらが言ったことを無に返す返答しかしないので彼女の近くにいるとこっちまで精神病になりそうで(そういうところも元来あって周囲から人が離れていく)、彼女の目はこの世を見ておらず、いつサナトリウム(長期療養所)にぶち込まれてもおかしくなく、いつうちが燃やされるかもわからないそんな危険性をはらんでいるので、私たち家族はビクビクしながら過ごしている。

    金の亡者みたいな悪徳税理士にはめられそうになったり、父の秘書に会社を乗っ取られそうになったり、本当にさまざまなことがあって、父の周りにいた人間がクソ人間ばかりだったということがわかり、父という人間がいかに腐っていたのかよくわかった。

    安心した。

    父を心置きなく憎むことができるのだ。

 

    本当にいろいろなことがあったし、私たち家族は大きく深く傷ついた。

    父さえいなければ。

    死んでからより強くそう思うようになった。

    父がいなければ私はこの世にいなかったけど、それと秤にかけても父が存在せず私も存在しないほうがよっぽど幸せだったと思う。

    父にまつわるすべてが憎い。父のすべてが憎い。

    不倫に不倫を重ねてさらに不倫する、心の終わってる人間だった父。不倫で3股くらい普通にする人間だったのだ。頭がおかしかったのだと思う。ある意味かわいそうだったのかもしれない。気持ちが悪くて気味が悪い。

    そんな人間の血が半分も私に流れているのが気持ち悪くて仕方ない。個人的に他人を輸血して薄めたいくらいだ。

 

 

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    墓参りは、母と妹と、それから叔母夫婦で行った。

    3人目の妻と行くわけがない。

    現在弁護士を双方に立てており、接触を禁じられているのだ。そのうち法廷で争うことになるだろう。私たちみたいに法定相続分を公平に分けたい人間もいるし、そうではなく現金をできるだけ持ち出して罠にはめようとする人間もいるということだ。

 

    3人目の妻は、私たちより先に数日前に墓参りをしたらしい。

   今日墓を見たら、造花がさしてあった。

   半年前に死んだ夫の墓に造花をさしてる時点で、こいつがどういう人間かよくわかるだろう。

   

    私たちは造花を抜き、捨てた。

    私は先祖に祈った。どうか、私たち家族をお守りしてください、と。そして、父に心の中で伝えた。

「もう一回、死んでくれ。いや、あと3回死んでくれ。二度と、永劫に、何回生まれ変わっても私の前に姿を現さないでくれ」

   

    もう、父のために墓に参ることはないだろう。先祖のために来ることはあるだろうけど。

 

    私は瀬戸内海が好きだし、あの小さな寺も、静かな蜜柑畑も、廃れた道も店も家屋も、たまに歩いている老人も、空も橋も青も、なんだか愛おしくてたまらないのだ。

    墓には参らなくても、ここは遠い私の記憶の故郷だから、また来る日はあるだろう。

 

    そう思いたい。