夜空を見上げると、赤や緑に明滅する旅客機が音もなく星の間を縫っていた。
あの飛行機には何人くらい乗っているのだろう。
100人くらいだろうか。みんなどこへ行くのだろうか。
その100人にはそれぞれの人生があり、今この瞬間だけの存在ではなくて、当たり前だけど過去があり、そしてなんらかの未来があり、流れ続ける時間の中で過去と現在と未来の瞬間を繋ぎながら(繋がれながら)、生きているのだ。その瞬間の結びつきが、一人一人を象っている。星々を繋ぐ星座のように。
そんな100人が乗っていることを想うと、自分と彼らはまったくの他人ではないような気がしてきた。
思い返せば、職場の人も、電車でいつも乗り合わせる人々も、その瞬間だけに存在しているのではなくて、それぞれの長い時間の中を互いに生きていて、今この時代のこの瞬間に偶然すれ違ったというだけなのだ。
自分は何か壮大な仕組みの中に生かされている。私たちは宇宙という仕組みの中にいて、普段はそれがあまりにも巨大だから知覚できていないのかもしれない。だいたい、いつもこんなことを考えていたら気が狂ってしまうじゃないか。
だから私は、あらためてこのことに思い至り、世界は「みんな」でできているんだなぁ、としみじみしたのであった。
あの飛行機に乗っている人たちは、これからどこへ行くのだろう。
窓際に座るある人は、目下に屹立するビル群や、ろうそくみたいに温かく光る東京タワーに、ワクワクしているかもしれない。
またある人は、地元の駅の明かりを見つけて、ああ、帰ってきたのだな、と安心しているかもしれない。もしかしたら、旅先の思い出に浸って寂しさを覚えているかもしれない。
私が名前も顔も知らないあなたたちのことを想っているなんて、これっぽっちも思い至らないだろう。
空から見下ろした街は光の粒でできている抽象的なタペストリーの模様のようだけど、そのひとつひとつの灯の下には誰かが体温をもって呼吸をし、具体的な生活・人生を送っていて、今晩何を食べようかって最近食べたものと今食べたいものと財布の中身と比較して悩んでいる人がいたり、今朝喧嘩した恋人にどうやって謝ろうかと悶々として路地を歩く者がいたり、キスマイのシングルを聴く少女がいたり、キャベツの芯をどのへんで切り落とそうか悩んでいる若い女がいたりする。
街を見下ろすあなたと同じように。
まもなく飛行機は右側の星の間に消えて、夜空はまた静かになった。