今朝、満員電車の中で、何気なく狸の置物の画像を大量閲覧していたのだが(そんなことするなんて心が疲れているのかもしれない)、見ているうちに悲しくなってしまった。
ひどいじゃないか。
なにも、こんなに下品な姿にすることないじゃないか。
どうしてこんなに金玉袋が大きいんだ。どうしてこんなに腹がでているんだ。ちんちんがあるということは男なのに、乳房があるじゃないか。
デブだからか?
デブだから乳房があるってか?
(実際デブにはおっぱいがあって、私の先輩(♂)もその例に漏れずDカップ相当あるらしい。なんて不必要な情報だろう)
たとえば、フィギュアづくりが趣味の友だちに誕生日祝いとして私を象(かたど)ったフィギュアを作ってもらったとしよう。
「できたよー!誕生日おめでとう!」
そんで、こんな感じの「私」のフィギュアが渡されるわけである。
ひどすぎるじゃないか。
あんまりだ。
タヌキたちの胸中を慮(おもんぱか)ってほしい。
ニンゲンに自分たちに似せて作った置物を作ってもらい、うきうきしながら見に行ったら、これである。
そりゃ人里に下りて田畑を荒らすわ。
タヌキにしたってがっかりだろう。まぁ腹が出ていたりマヌケっぽい顔をしているのは百歩譲ってカワイイから許すとして、金玉はどうなんだ。病気じゃないのかこれ。
金玉大きくて、竿は小さいのかよ。
憤慨す。侮辱の極みだ。
さらにムカつくのは、ライバルのキツネさんは格好良く象られているということだ。
西洋人か?ってくらい目鼻立ちがはっきりしてる。
キツネはエキノコックスなど致命的な寄生虫を持っているにもかかわらず、人々の信仰を集め、祀られてきた。一方タヌキは善く解釈しても気の良い酔っ払いのおっさんじゃないか。
どうしてこうなった。
共に変化の霊力を司るものとして、どこで道を違えたのだろう。一方は信奉され、一方は馬鹿にされている。
タヌキは怒っていい。
こうなったら令和狸合戦だ。
↓
馬鹿にされているタヌキだけど、個人的にはこれら画像を見ていて、タヌキの方がキツネよりも親近感が湧いた。
アホ面だけどそこが力の抜け方というもので、かしこまった畏怖を感じない。キツネ様に会うときはスーツまたは礼服しか許されていないが、タヌキに会うときはTシャツにビーサンでもいいらしい。そういう気楽さがある。
あと、数百枚の画像を見た限りでは、下を向いてる狸の置物はひとつもない。
皆一様に上を向いている。
ほけ~っと空を眺めてるようでもあるし、なんか語りかけてくるようでもある。
「ようよう、なんか元気ない顔してんじゃんよ。これでもお飲み。もちろん酒だ」
余計なことは言わず、暗いことも言わず、黙っているわけでもなく、身の回りにある気付けないような小さな幸せを教えてくれそうだ。花の名前とか風のにおいのこととか雲のかたちとか教えてくれそうだ。
そんなことを考えながら、今朝は数百枚のタヌキの置物画像を眺めていた。
やっぱり疲れているのだろう。