電車に、結構な巨漢が乗っていた。巨漢というか、悪く言えばデブである。
座席を2つ半ほど占領していて、もしも日本に肥満税というものがあったとしたら、確実に高額納税間違いなしって感じだ。累進課税だったら多分破産してるだろう。
私はこういうデブが好きだ。
デブ、デブ、と言っているとひどい悪口のようだが、私の場合は、デブ♡ デブ♡である。
デブは情けないので好きだ。
このデブ、なかなかだったので、仕事で疲れた私の心を癒してくれた。よい電車に乗ったと思ったものだった。
ただよくなかったのは、清潔感のなかった点だ。
シャツもシミだらけだし、全体的に不潔感があるというか、デブの周りだけ空気が澱んでいるように見えた。
小綺麗にしているデブは好感が持てるものだが、不潔なデブはよくない。いかにも臭そうである。
本当に臭いのかな?と気になった私は、デブの隣に座ることにした。デブの周りだけ席が空いていたのでラッキーだと思った。
マジで臭かった。
安直な好奇心で座った自分を後悔した。
臭さというのにもいろいろあって、たとえばアンモニア臭とか、アセトン臭とか、加齢臭とか、腐った魚のにおいとか、腐った卵のにおいとか、汗の酸っぱいようなにおいとか、まぁ、想像できるだけで数十はある。
このデブのにおいはそのどれとも違っていた。
端的に言うならば、「脂」である。
マクドナルドのフライドポテトにラードをたっぷりつけて、履き古した靴下で揉み込んだような臭いだ。
オールウェイズ激臭というわけではないのだけど、そのデブがスマホゲームのガチャかなにかで目当てのものが出なかったのだろうか、そんなときに放出するため息に乗って、地獄のように漂い臭うのである。
風俗嬢って大変だな、と朦朧としながら思う。
こういう客が来たら、嫌でも相手しなきゃいけないのだ。どう考えても楽な仕事ではない。
さっきからデブだのクサいだのと悪口のオンパレードだが、私としてはそういうつもりはなく、事実を述べているだけだ。
クサいデブ。
クサデブ。
隣に座った手前、私から席を離れるのは失礼にあたるので、乗り換えまでの7駅分、顔を青くして耐え忍んだ。終盤の方は記憶がない。休みなく漂う臭気を嗅ぐたびに、臓器の温度が1度1度と下がっていくようであった。
電車を降りて、マスクを外し、夜風を吸い込んだ。鼻の中を洗うように空気を取り込み、ゆっくりと吐き出す。もう一度、もう一度、繰り返す。
もう臭いのヌシはいないのに、鼻腔の細胞の溝に臭いの記憶が巣食っていて、思い出すとぶるりと体が震える。臭いの記憶は強烈である。鼻の中を犯された気分だ。
どおりであのデブの周りの席は空いていたわけだ。
わからないけど私はいつか、向こう見ずな好奇心によって身を滅ぼすのかもしれない。