小学校に入学したすぐ後のことだったと思う。雨が降っていたその日、帰り道を男子数人で帰っていたところ、T君は言った。
「今日みんなうちに遊びにくるよね!」と。
え?みんなT君チ行くの?と自分だけ仲間外れにされた気分になって戸惑っていたら、周りの子たちも戸惑っていた。
そう、誰もT君チに行くなんて約束してなかったのだ。
私の通っていた小学校には学区がなくて、みんな電車に乗って遠いところから通っていた。小学校受験したのだ。
T君チが近所だったらなんの気もなしに遊びに行っていたけど、みんな遠くから通っていたから学校が終わったらすぐに帰らなければならなかったし、友達の家に遊びに行くのは簡単なことではなく、まず親の許可を得なければならなかった。
だから、T君が「約束だよね」と何度言っても、そんなこと言われても、誰も行きようがなかった。
だって誰も約束してないのだ。
「遊びに行きたいのはやまやまではあるが、残念なことにママの承認を得なければ友人宅へ赴くことは当方6歳児のため自分の意思だけでは叶わぬ、そもそも寄り道をして友人宅へ行くことは校則によって制限された行為の一つであり、本来我々はまず自宅へ帰って荷物を置いてからようやくT君チへ行くことを許される、保護された存在なのである。要するに、君の家へ行くことは実質不可能だ。なぜなら、私の家は君の家と6歳児にとってあまりにも離れているから。家に帰って再びT君チへ行ったところで到着は17時を越えるであろうことは自明。つまりね、云々」
と、私は説明した。
周りの子たちも同様のことを言っていたと思う。みんなで説得した。
T君は時にふてくされた顔をしながらもみんなの話を聞き、そして落ち着いたところで、こう言った。
「そっか、じゃあみんなこの後うちに来るね!」
こいつ、全然わかってねぇ!!!
T君は続けて言った。「この間、うちのママがみんなのママに約束してたもん。今日うちに遊びに行くって!」「だからみんな今日うちに来るよね?来ないなら、うちのママが困っちゃうよ」「来ないなら嘘つきだよ」 「ひどいよ、おれはなにも悪くないのに」
なにがT君にここまで言わせたのかわからないが、とにかく彼は頑固で、私たちが行かないと言っても納得しなかった。
仕方がないので、T君の言葉を信じて私のママがT君のママと遊びの約束をした前提で、公衆電話から自宅に電話をかけた。冷たい雨が降っていた。
「T君?だれ???遊びの約束なんてしてないでしょう?はやく帰っておいで」
母にそんなことを言われたのを覚えてる。やはりT君は嘘をついていた。
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そのあとどういう経緯になったのか忘れたけど、私たちは結局T君チにあがりこみ、みんなで風呂に入り、映画を見たりボードゲームをしたりして過ごし、夕食までご馳走になった。
T君ママは優しくて、料理も上手で、髪の毛が黒く長くて、家の中も綺麗で、なんかT君は育ちがいいんだなぁと、完璧に調整されたリビングの具合からそう思った。
夜、かなり遅い時間だったと思う。
私の親が迎えに来てくれた。
私は帰りの車の中でこっぴどく怒られた。なんで黙ってT君チ行ったの!帰ってこいって言ったでしょ!断るときは断らないとダメなの!!
あのときの説教には私自身納得いかなかったので、泣かなかった。
私だってさんざん断ったけど、T君が「約束した」「約束した」と言い続けるから(実際、彼はそれしか言わなかった)、本当に約束した気になってしまって、行かざるを得なかったのだ。
行かなかったら約束を破った裏切り者にされそうだったのだ。
だけど、そんな荒唐無稽なこと言えなくて、私は黙りきっていた。貝ってこんな感じなのかな。
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なんかこのことは今だにとてもよく覚えていて、あの日の雨の冷たさとかレインコートのニオイとか湯船の熱さを思い出せる。
あれ以来私はT君を遠ざけるようになった。 言いようのない不気味さを感じたのだ。
うまく理由にできないけど、少なくとも彼はまともじゃないと思った。
今思えば、T君はママに操られていたのかもしれない。本当に私たち子どもを家に呼びたかったのはT君ではなく、T君ママだったのかもしれない。
たとえば、T君ママは「子どもたちが急に我が家に来たけど丁寧にもてなした」既成事実を作ることで恩を売り、親同士のコミュニティの中で有利な立場にありたかったのかもしれない。
今となってはわからないことばかりだし、T君の単なるワガママだったのかもしれないけど、釈然としないこともまた多くて今なお不気味な思い出として脳裏に刻まれている。