Twitterで話題の『100日後に死ぬワニ』がいよいよ佳境に入り、ワニが死ぬまであと7日を切った。
その事実があまりにも胸に迫って苦しく、昨日はブログも書かずに横になってしまった(実際は仕事で疲れて寝落ちした)。
『100日後に死ぬワニ』はイラストレーターの きくち ゆうきさんがTwitterで連載している4コマ漫画である。
きくちゆうき (@yuukikikuchi) | Twitter
100日後に死ぬ設定の主人公ワニ君の日常のお話だ。
1日に1話更新され、作中と現実は同じ時間で進行する。
ワニ君はワニ🐊であるという点を除いて私たちと同じように遊び、働き、恋をし、眠り、ラーメンを食べ、友だちとお喋りをする。
楽しく愉快な気分のときもあれば些細なことに傷つき不快を覚えることもあるワニ君。でも時間が経てば勝手に忘れたり解決できたりする。
小さな幸せがあり、些細な憂鬱があり、確かな生活の実在がある。ひょっとしたら私よりも豊かな生活を送っているかもしれない。
ワニ君は私であり、あなたたちでもある。
↓
ワニ君の死という決定された運命を念頭に私たちはこの漫画を読む。ワニ君は自分が死ぬことを知らず、読者だけが知っている。
4コマの尻に「死まであと○○日」とカウントされることで朗らかな日常は暗雲垂れ込め読者の中で一変し、なんの意味もなく変哲もない誰にでもある日常のワンシーンのうちに、特別な意味を見出したくなる。
いや、意味を見出すというよりか、ワニ君のただの日常が、些細な出来事が、意味深く価値のあるものに思えてくるのだ。
死。
ただそれだけですべては特別になってしまう。
『100日後に死ぬワニ』における「登場人物が死ぬことを最初から読者に提示している」スタンスは、私の好きな小説『砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けない』(桜庭一樹)を彷彿とさせる(そういう構造のお話はいくつもあり、私の浅い脳内書庫から引用されたのが砂糖菓子〜だったというだけのことだ)。
砂糖菓子〜を読むときに思うのが、さてこの子は本当に死ぬのだろうか、ということと、どのようにして死ぬのか、ということだ。
砂糖菓子〜と同様にワニ君にも愛着を持ち始めた私は、ワニ君が本当に死んでしまうのか、作者の慈悲はないのかと、希(こいねが)うように頼むと同時に、ワニ君はどのようにして死ぬのかも気になって仕方がない。
ワニ君のお話は、死ぬことがわかっているからこそ価値があるのだ。
死ぬからこそ日常の変哲の無さが愛おしく、ワニ君の恋を応援したくなり、人間関係(動物関係だ)をハラハラしながら見守ってしまう。
ワニ君と周りの人(動物)が少しでも幸せならばいいと思う。
死ぬからこそ。
そうとわかっている自分が嫌になる。
ワニ君の死を待ち望んでいる自分がいる。
ワニ君、残念だけど、君は死ななければならない。
死んでほしくないけど死んでもらいたい。
絶対に死んでほしくはないのだけど、死ななければならない。
あてようのない矛盾する心がある。なんとも言えない気持ち、というやつだ。
葛藤し、困惑し、作者を呪いたくもなる。
この顔でワニ殺すこと考えるなよ……。
「マジ」の目じゃん……。
ワニ君の最期を最後までちゃんと見届けよう。彼と過ごせるのもあと1週間なのだ。