蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

中途半端者を救いたい

の~、なんか私って、中途半端なんですよ。

「君は半端だね。徹底してないし熱意もない。成績を見てもそう。落ちぶれてもいないし特筆すべき点もない。そういう人間なんだろうな。文章を見てそう思った」というのは、大学卒業をかけた卒論面接で教授からいただいた言葉だ。

図星でなんも返せなかった。

それがずっと悔しい。銃で撃たれるってこんな感じかと思った。

でも中途半端な人間だからやっぱり努力はできないし、器用だからそんなに頑張らなくてもなんやかんやできてしまうし、だからと言って極められず、また、ダメダメじゃないから人に気にかけられることもないし、結果として可愛がられもしない。できはするけど頼りにはしたくないタイプ。

中途半端。

夢もないし深い絶望もない。なんとなく流されて生きている。

「中途半端」とはこの個性尊重時代において最も憂慮されるべき「個性」だ。

 

なにかができない、どうしてもできない、でもそれこそが自分の個性になっていて、なにかに活かされてみんなから認められている、みたいなものをよく目にする。

自分はマイノリティだ、とその人は言う。そうなのだろう。

そのせいでたくさん苦労してきただろうし、傷つくこともあったろうと思う。

でも、ある部分が徹底的だったおかげで、現在の光明があるのも確かだ。

幸か不幸かはさておき。

 

「中途半端」を極めても、徹底しても、なににもならない。

なぜなら中途半端ゆえに「達成」はされないのだから。「達成」してしまったらそれはもう中途半端じゃない。

単なる言葉遊びじゃなくて、結局中途半端を極めたところで目立てるわけがないし世間に名を知られるチャンスなどないのだ。中途半端だから。

「こんな駄目なわたしでもなんとかなりました。同じく苦しんでいる皆さんも、ありのままでいいのです」みたいな救いの言葉を中途半端者にもほしい。

しかし、中途半端を徹底して大物になった人物は有史以来一人もおらず、先駆者となって言葉をかけてくれた人はいないし、中途半端者を景気づける言葉もこの世には存在しない。

中途半端が受容され、ありのままで愛されて、認められたことなど一度もない。

なぜなら中途半端だから。なにも達成できてないから。

中途半端をきわめて大物になったらそれはもう、中途半端ではないから。

中途半端と書きすぎて目がちかちかしてきた。

 

どうすればいいか?

私と同じようにどうしようもなく、愛しようもない人間を救うには、どうすればいいのか?

名を上げれば勝ち組なこの世の中で、中途半端者が勝者になるには。

心を救うには。

 

先にも書いたように、現実では矛盾をはらむので「中途半端が大物になる」のはあり得ない。

ただせめて心は救いたい。

この矛盾を解決して真実一路に中途半端を救済するにはもはや、フィクションでしかありえない、と思う。

大物になるのではない、幸福になるのでもない、どん底になるのでもない、勧善懲悪もしない、ただ中途半端である主人公が適度に受容されて自分自身を愛せるようなそんなフィクションを求めている。

悲しいと思った?

思ってくれたなら嬉しい。