大なり、小なり、という変な名前の記号がある。
“>” と “<” である。
どっちが「大なり」でどっちが「小なり」かわからなくなるけど、口に出して使う頻度は高くないのであまり困らない。文字にするときは「大なり」とわざわざ書かず、「>」と表記するし。
ところで、大なり、小なり、を習ったのはいつだったか。
たぶん、高校生のときだ。
不等式のお勉強で習ったのだ。
中学生だったかもしんない。
わからないけど、ティーンの多感な時期に教わったことは覚えてる。こんなこと、多感な時期に習うべきことなのだろうか。
頭の禿げて色黒の痩せた数学の先生(陰でガンジーと呼ばれて親しまれていなかった)が「大なり」とか言っていたのを聞いて、ティーンの私は最初、その言葉が冗談だと思った。
「>」の名前が「大なり」とは到底思えなかった。
だって「大なり」って言葉の響きは完全に古文のそれなのだ。
「大(だい)」は名詞、「なり」は体言に接続する【断定】の助動詞「なり」の終止形である。
今どき「~なり」なんて使うのはコロ助かベトベトしたオタク君くらいだろう。その二つのイメージだって令和では古い(私がティーンの頃は平成だったけど)。私は古文が嫌いだったし、数学はもっと嫌いだった。授業中はほとんど寝ていた。冒涜的睡眠、と揶揄されるくらい寝ていた。寝る子は育つ、なんて嘘だと私が浪人することで証明した。
それなのに(どれなのだろう)、「大なり」なんて古文調で言ってやがる。
さてはこの教師、ガンジーのナリしてふざけてやがるな。
私はその言葉の違和感をその後数年間、今に至るまで残したままである。
今日仕事中にふと「><」の話題になって(こう書くとなんかつらい人の顔文字みたいだ(>_<) )そういえば大なり小なりっておかしな言葉だよなぁと思い出したのである。
100年くらい前に廃れた文語を今なお使用しているとは、どういうことか。
おそらく用語として100年前に定着したので、術語として現在も使われるに至ったのだろう。
言葉のシステムにおいてはそういうことがたまにある。時代が変わってその言葉の響きには違和感があるにもかかわらず、学術的に定着してしまったがゆえに変更がきかないのだ。
「たまにある」と書いたのでなにか例を出したいのだけど、ぱっと出てこない。
しばらく考えたけど出てこなかったので、まぁ、よいとして話を終りにすすめよう、言葉は時代によって意味や読みなどが変るものだけど、ルールとして定めてしまえば永劫変わらないのかもしれない。
もちろん、使う人がいなくなればいちばん変わることがない。
これからは積極的に「なり」を使ってオリジナリティを出そうかな。
かなりクセなり。