蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

何者になれるだろう

  章を書くのは好きだ。小説を書くのは好きだ。

    だけど、小説を書くのも文章を書くのも嫌いだ。

    読み返すとうんざりする。自分の才能のなさに。

    ブログにしたってそうだ。書いているときは楽しいのに、あとで読み返すとこれはどうしようもない代物だと落ち込み、文章の上手い人のブログを読むとさらに落ち込む。ああ、おれはこういうのが書きたいんだよ、って。

    うんざりして酒を飲む。喫煙する。

    その間も、小説を書かなきゃいけない、小説を書きたい、という気持ちは湧いてくるのに、小説が書けないでいる。

    小説を書くって、苦しいことだ。呼吸をずっと止めているような感じがしてしまう。うまく集中ができないと心を乱して辛くなる。

    そんなことならもう書くこと自体辞めればいいのに、書くことをやめたら私は私でなくなってしまう危うさに怯えていて、ただでさえ何者にもなれていないのに、書くことをやめたらさらに無色透明になってただ死ぬまでの時間をだましだまし酒で希釈して麻痺させて生きながらに死んでいるようになってしまうんじゃないかって怖いのだ。

    生きる目的も、生きる価値も、そんなもの人間が勝手に考えているだけで本来無いものだとわかってはいるけど、愚かな私は生きる意味を考えてしまう。

    うんざりする。酒を飲む。

    そうなると、もう小説を書けるほど頭は回っていなくて、パソコンを閉じる。そうしてパソコンを閉じる時の音の虚しさは、夜の深いところへ落とされるような隙のない暗がりを心に兆す。

    僕は小説が書けない。

 

 

    Twitterで140字小説を書くのに、そろそろ限界がきてしまった。

    というのも、完全に「型」を掴んでしまったのだ。

    その型さえ忘れなければ、どんなテーマだって視点の変え方でいくらでも話を作れるようになる。

    あとは文字数の問題だけで、いかに小粋に奥深い言葉を選択できるかなのだけど、型を会得した今では、もはや面白みはそこにしかなくなってしまった。

    なんとかして型を破りたいと思う。だけど力めば力むほど型は破れず、もっと広い視点と考え方が必要だなと痛感する日々。それでなかなか書けないでいる。書けないと、病む。

 

 

    書いても病むし、書かなくても病むのだから、もう諦めて書くしかないなと思う。

    結局、ぐちぐち悩んでいてもどうにもならないのだ。体を動かして、文字を書き表し、文章を読んで、肉体的に文芸に励まなければその先はないのだ。

    何をどうすればいいのかわからないけど、頑張ろうと思う。

    

 

    私は何者になれるのだろう。