蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

味わい深い邦楽アルバム・ジャケット5選

  アルバム・ジャケット含めて、音楽は芸術品だ。

 

 CDケースよりもやはりLPジャケットの方が大きくて見栄えがいい。棚を贅沢に使って一枚一枚絵画のように飾っておきたくなる。日比谷ミッドタウンに入っているビルボード・カフェみたいに。

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 優れたアルバム・ジャケットは眺めているだけで音楽を聴かずともそのミュージシャンを気に入ってしまうものだ。

 なぜならジャケットは音楽の顔であり、第一印象であり、その顔(センス)を気に入るということはそのミュージシャンとウマが合うということでもある。

 これは本の表紙とも同じことが言える。

 ジャケットや表紙のデザインは作者が直接するものではないけれど、そのデザインでGOを出したりそのデザイナーを起用する時点で、自分の好きなものと合致した場合、作者と作品そのものと仲良くなれる可能性が高い。

 

 

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 音楽屋をぷらぷら歩いていると、一目でぴんと来るものがある。

 試し聴きしてみて確信する。「間違いない」

 そんな感じで私の心にびしびし刺さった邦楽アルバムジャケットを5つ選んだ。

 とても選べなくてもう辞めようかと思った。こんなことすべきじゃないのだ。

 1時間くらい選んで、厳選し、悩み、ときに落ち込み、哲学に陥りながらも結局は素直に選んだ。

 素直に、1時間眺めていても大丈夫なアルバムジャケットが残った。

 

 

1.はっぴいえんど/風街ろまん

 

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 ジャケットはメンバーの顔である。

 細野晴臣松本隆鈴木茂大瀧詠一と名だたりすぎて頭おかしいと思えるメンバーだ。どうかしてる。ビートルズかよ。

 ところで はっぴいえんどをまったく知らない人に訊きたいのだが、このジャケットの4人の中で誰がボーカルで誰がギターかわかるだろうか?パートを間違いなく当てられる初心者はいないのではないか。

 正解は、左上の松本隆(ドラムス)、右上が鈴木茂(ギター)、左下が大瀧詠一(ボーカル)、右下が細野晴臣(ベース)である。

 

 松本隆ぜったいボーカルだろ。この並びだったら。その顔だったら。大瀧詠一はドラムっぽい。「力」がありそう。

 

 ちなみにこのとき細野さんは24歳である。いろいろとおかしい。

 

 

2.キリンジ/3

 

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 やっぱ顔出しは強いですね。

 「こういうもンだけど」と名刺代わりに顔つき出されるとビビらされちゃう。

 言わずもがな、邦楽屈指の名盤である。

 

 しかしながら、どうしてこんなに大きいのだろう?どうしてこんなに脂ぎってるのだろう?二人はどこに立っているのだろう?と疑問を抱かざるをえない。

 謎は多い。

 このアルバムに入っている「エイリアンズ」のMVも謎が多い。

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 座敷牢に幽閉されているのだ。

 どういうことなのだろう。

 

 わけわからないけど、曲はめちゃくちゃ良くて、なんか実体のないものに実感が湧くというか、生活がそこにあるのだということを強く感じさせてくれる。キリンジのある生活ってすごく良いものです。

 

youtu.be

 

 

3.YMO/Solid State Survivor

 

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 またしても細野晴臣だけど、YMOは概してセンスがいい。

 このソリッド・ステート・サヴァイバーだけでなく、

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 これとか、

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 これとか、格好良くて味わい深いものは多い。

 

 なんとなくジャケットだけで、そのグループの音楽の思想が見えてくる。

 コンセプトがわかる。

 「なにをしたいのか」がわかるようなジャケットは見事だ。

 それでも聴いてみなくちゃわからないし、聴いたところでよくはわからない。芸術は理解するものではなく了解するものだ。

 

 

4.神聖かまってちゃん/友だちを殺してまで

 

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 このアルバムなんてまさに、タイトルと写真だけでバンドのコンセプトと思想がひしひしと伝わってくる。

 そして聴いてびっくり。想像を凌駕するロックンロールが鳴りやまない。

 初めて聴いたとき、たしか15歳だったが、ロックンロールってこういうことしていいいんだ、と思ったし、これこそがロックンロールの精神だ、とも思った。

 なにがロックでなにがロックじゃないとか、そういうことではないのだ。

 ロックって思想として語り出して論理付けたらそれはもうロックじゃないのだ。

 やりたいようにやればいい。

 『友だちを殺してまで』を聴いた15歳以来、自分の中で説明しようのないロックンロールがずっと響いていてそれに基づいて行動しているのだけど、人生はみっともなく楽しくて仕方ない。はやくぶっ壊れたい。

 このバンドを聴くと、夕暮れの中、大泣きしながら走って転びたくなる。

 

 

5.相対性理論/シフォン主義

 

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 このジャケットはずっと見てられる。

 意味の無さ、美しさ、シュールさ、可愛らしさ、絶望感、壮大さ、矮小さ、無気力、無重力、「相対性理論」というゴツイ漢字の配列と「シフォン主義」という舐め腐った態度のバランス……。

 この一枚でこのバンドがなんなのかよくわからないということがよくわかり、聴いてみてもよくわからないことがよくわかる。

 なにせ、意味が無い。

 意味ではない音楽がそこにある。

 ひたすら言葉が気持ちよく転がり、歌声が可愛らしく、けれども不条理なことを歌っていて、ギターは鋭く荒々しくもこれ以外にあり得ない感じがする。

 

 このバンドのこのアルバムについて語るべきことはたくさんある。『シフォン主義』について語るためにはいくつかの文献を漁ってロックとはかけ離れた事柄を言及せねばなるまい。無粋だ。

 驚きと鮮烈さを持って相対性理論はこの世に誕生したが、しかしながら必然的に登場したような感じもする。それはアインシュタイン相対性理論の発表と同じような衝撃と必然だった。

 

 

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 「なんなの?」と思わせるアルバムジャケットだからこそ、ずっと眺めていられるものだ。そこにはデザイナーと広告代理店とミュージシャンとレコード会社と政治とカネの問題がぎちぎちに詰まっていて、絶妙なバランスで成り立っている。

 それがちょっとでも崩れるとコンセプトが滅裂になって魅力は失われる。

 

 芸術は人の心を動かすものであり、人の創造力と想像力を掻き立てるものであるべきなのだ。アルバム・ジャケットはその真髄を表す端的な芸術であり、デザインだ。