蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

食欲不足

  出自粛が続く。

 読者諸賢の努力により、国内感染者数は爆発的に増えてはいない。が、着実に減っているわけでもない。だが、成果は必ずついてくるだろう。信じてる。

 

 一日一食はレトルト食品になる。多くの場合、昼食のカップ麺やコンビニの出来合いのものだ。

 食べれるだけありがたいけど、こういうのはどうしても飽きてくる。

 ぜんぜん違う味のものを食べても、通奏低音のように「同じ味」がする。「同じにおい」と言った方が適切だ。

 ハンバーグ弁当も、一平ちゃんソース焼きそばも、焼鯖弁当も、エビのホワイトソース・ドリアも、サラダチキンも、「同じにおい」がする。保存料とか共通する化学調味料の風味のせいなのかもしれない。

 これにかなり飽きてきていて、食事を億劫に思うようになってきた。

 母の作る料理はもちろんそのにおいはしないからいいのだけど、主に昼食で済ませるそれらコンビニ食には、はっきり言ってうんざりしていて、最近は昼食をあまり食べなくなってしまった。お腹が減るが仕方がない。

 

 食欲、いらね~とすら思う。

 

 そういえば高校時代や浪人時代、私は食に関してかなりモチベーションが低くて、食事なんてしなくて済むならそれがいちばんいいと思っていた。

 現代文の授業で年老いた先生が「食事は本当に面倒くさいね。一粒飲むと3日間食事をしないでいられるサプリとか開発されないかね」なんて言ってた。

 生徒たちは「え~何言ってんの老いぼれ」だの「食事だけが人生の愉しみなのに。先生は人生を終えている」だの「半死体」だの先生を揶揄していたが、私には先生の気持ちがよくわかった。

 完全食みたいなサプリが開発されないかな。そう妄想していたからだ。

 それだけに、生徒たちの揶揄は直截私にも刺さった。揶揄は今考えたものだったかもしれないが……。

 

 

 あれから私はどうやって食事を好きになったのだろう。

 考えてみたら、恋人のおかげだった。

 デートするたびに恋人は美味しいレストランやカフェエを教えてくれた。なによりも、一緒に食べるということが嬉しくて、恋人を前にすると食欲が増進し、お腹を壊すまで食べれるようになった(消化不良を起こしているので良いわけではない)。

 単純である。

 恋人がいるから、生きる力が湧いていただけなのだ。

 

 だから、外出自粛で彼女に会えなくなった今、私の「食欲」はいらない方向へ向かっているのだ。

 恋人と食事できないなら食欲なんていらないとすら思う。彼女がいなかったら、何を食べても、たとえ美味しくても、美味しさを感じられないのだ。心まで死ぬ。

 

 こわ。いろいろ。