昼食が義務化している。
だれかに定められて昼食を摂っているわけではないが、率先して食事しているわけでもない。
朝ごはんをほとんど食べられないから、昼食が一食目になることが多い。
「ここでなにかお腹に入れておかないと午後の業務に支障が出るかもしれないし、ただでさえ痩せてるからカロリーを摂っておかないと危険だ」という義務感でもって、昼食を摂っている。
ただ、仕事の合間の食事はなんと味気なく、つまらないものだろうか。
お店の弁当は量が多すぎるし、うどんは食べ飽きたし、コンビニ弁当は美味しくないし、食堂の定食は不味くてしかも高い(滅べばいいのに)。
ストレスのせいか、日中は麺類みたいにつるつるしたものしか喉を通らないので、必然うどんかカップ麺になる。カップ麺を毎日食べていると心が痩せていく。胸のあたりがずきずきする。
3分待って心を殺すメカニズム。
忘れがちだったが、元来私は食事嫌いなのであった。
恋人がいれば食事は楽しく、なにを食べても美味しく、いくらでも美味しいものを食べたいと思うのに、反して一人になると「ああ億劫だ」と食事前には思い、食事をしても食べ物に対する感想は一切湧かない。
「胃に物を詰める」作業と化し、食事からは心揺さぶる情報を得られない。なにか、味のある「データ」を食べている気がしてくる。それはまとまりがなく、単に「栄養」と「質量」でしかないのだ。
あんまりだと思う。
悲しい。
あんまり食べないと、若いうちは細くていいけど、大人になってからとても後悔する。男性にせよ女性にせよ、大人の気迫のようなものは肉体の厚さと骨格の確かさに由来しているからだ。細くてもいいけど、骨格の確かな、健康的な細さでなければ魅力的ではない。
大人になっても細いと、なんだかみっともないというか、頼りなげというか。
危なっかしく細いそういう人を見ると、冷蔵庫の隅で人知れずしなびている白菜の芯を見つけたときの気持になる。私はいつも鏡の前でその気分に陥っている。
食事嫌いのために成長期に花の蜜しか吸わない生活をしていたことを今では後悔している。花の蜜と豆乳とサラダばかり食べていた。それでモテると勘違いしていたフシもある。(実際は高校生活で異性と話した記憶は数えるほどしかない)
成長期はたくさん食べて、寝なければいけない。
体を作るのが仕事なのだ。もっと食べておけばよかった。
とは言え、食事嫌いは今も治っていない。
恋人のいない食事は、美味しいと感じることはなく、不味いか、なにも思わないかだ。
私は好き嫌いがないのではなく、もしかしたらほとんどの物が嫌いで、恋人がいるとその「嫌い」を誤魔化せて「好き」に転じているだけなのかもしれない。
怖。