蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

においに惹かれ合う僕ら

性を好きになるポイントはどこだろう。

異性、という言い方はいまの時代ちょっと古いかもしれない。言い方を変えよう。

恋をするとき、相手のどこに惹かれるのだろう。

人間的な部分、ももちろんそうだけど、動物的に本能的に、われわれ優しき獣は相手のどこに惹かれ、惹かれ合い、添いたいとおもうのだろうか。

 

私は、におい、に惹かれる。

相手の においって大事だ。

自分の中に無い におい、自分の中にぽっかり空いている足りない部分を埋めてくれるような におい、満たされて心が丸くぼんやりとしていくようなそんな におい。

私たちは相手の見た目や声や指のかたちや、歩き方や困ったときにする仕草や年下に優しいところや動物を愛しているところに惹かれているように見せかけて、じつのところ、動物的には(本質的には)(生理学的には)(天文学的には)相手の においに惹かれているのだとおもう。

 

だから、相手も私の においに惹かれていてほしい。

恋人に「きみの においが好きだよ」と言われると安心してしまう。

性格の合う相手を探すことも大事だけど、長続きのコツは においが合うことなんじゃないか。

においによってお互いに無いものを補い合うことができ、なんとか仲良くやっていけそうだってことを知ることができるんじゃないか。

 

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今の恋人の においがたまらなく好きで、できることなら恋人の においの中に回帰したいと考えている。

変態、と思われるだろう。それがどうした。恋人のことがたまらなく好きであるということに、何を恥じればいいのだ。変態と呼んでください。できるだけ強めに。

 

 

同棲を始めてから徐々に、お互いの表層の においの差がなくなってきた。

毎日二人とも同じものを食べ、同じ空間に暮らし、同じ石鹸で身体を洗い、同じ洗剤で服を濯(そそ)いでいるのだ。においがすり合わされて消えていくのも仕方がないだろう。

ちょっとそれは寂しいことだ。

だけど、消えたのはあくまでも表層の においであり、それは環境によってかたち作られた部分でしかない。

本当に惹かれ合う においは、ほとんど感知できないほど微妙の、紅茶のパックのようにじんわり滲み出ている肉体の内側の においなのだ。それは他人には気付かれないもので、ごくごく一部の、惹かれ合う人間にしか感じることができない。

 

恋人に添うと、彼女だけの においが皮膚から染み出ているのがわかる。

甘くて、ふにゃりと丸くて、白くて、穏やかな乾いた風のような、そして体温のかよっている香りがする。

胸いっぱいに吸い込んで、恋人の一部分を自分の中に染み込ませる。

充電、と言うのか。生命のエネルギーがたまっていく。

そうすると私たちがまったくの他人同士であることを思い知るし、他人同士だからこそ想い合えあるのだと気付かされ、もう少し優しく言葉を使おうとか、感謝を伝えようとか、頭を撫でようとか、おもう。

 

ああ、他人だから愛し合えるのだな。

 

それにしても、

表層の においがすり合わされて同化していること、私たちはともに生活し、人生を歩んでいるって証拠だから、とても愛しく、すこしくすぐったい。