以前から再三にわたり同じことを書いているが、心に決着がついていないのでまた書くことにする、この問題。
土日はなぜこうも早く過ぎ去っていくのか。
これは、大問題だ。
最近の休みの日は、昼過ぎまでダラダラ惰眠を貪ることはせず、7時くらいに起床して部屋の掃除をしたり、楽器の練習をしたり、文章を書いたりして有意義に過ごそうと努めている。
当たり前の話だが、寝ていると時間はワープしてあっという間に半日失うのだ。
起きていれば時間が刻々と進むのを体感できる。
これだけで体感時間速度を遅めることができると気付いた。
金曜夜に仕事が終わると、休みだ、と嬉しい気持ちと、今週こそは有意義に時間を使おう、1日を凝縮して濃密な土日にしよう、休みを享受しよう、と息巻く。
だが、気付いたら月曜朝になっている。
どれだけ意気込んでも、気付いたら月曜日になっている。
おかしい。
スタンド攻撃を受けているとしか思えない。
キング・クリムゾンによって時間を飛ばされているとしか思えない。
"結果"だけが残る。『月曜日になった』という"結果"だけしか私たちは知ることができない。その間の土日の"過程"を知ることができない……。
土日も早起きして、行動しているのだ。
恋人とデートだってする。本を読むこともある。庭の草むしりをする日だってある。三食食べて健康的に過ごしている。昼寝もしない。
にもかかわらず、私は「月曜朝になってしまった」という"結果"だけしか、それこそだけを、血骨に痛みが走るほど知覚する。
月曜になると、あの土日はなんだったのだ、なんて空虚だったんだと後悔する。
なにもかもがあっという間すぎる。
ただ、一さいは過ぎて行きます。
自分はことし、二十五になります。白髪がめっきりふえたので、たいていの人から、四十以上に見られます。
人間失格的な気持ちになって目眩がする。
この生活があと何年続くのだろう?
ぞっとする。脳の奥がズンと重くなる。
それとも、数年したら心が死んで(慣れて)どうとも思わなくなるのだろうか?
平日になってしまった以上、次の休日を目指して粛々とやっていくしかない。1日1日を潰していくしかない。
容易い、容易いこと、だ。