月曜日は有給休暇を恋人と取得していたのだが、朝から夜まで予定を入れていたため、結局仕事に行くよりも早く起きることになった。平日は通常7時に起きるところを、月曜日は6時半に起きた。
なぜ30分も早く起きなければならなかったのか?
単に「朝から予定があった」から6時半に起きたわけではなかった。
「その予定を遂行するために他の予定を朝に持ってきた」のである。
「朝から予定があるためにさらに早く起きて他の予定を為さねばらない」という、自分自身の首を絞める予定を前倒しに入れた。
その前倒しの予定というのが、「豚汁を作る」ことである。
私は6時半に起きて、豚汁を作った。
その日の予定は午前中から夜まで外出で、夕食も外で食べるので自炊の必要はない。
しかし、当然、人の心理として、平日の自炊の負担は減らしたいものであって、しかし、月曜のすべての予定を終えて帰宅してから豚汁を作る気力など残っているはずがないと予想していたので、やむなく月曜の朝に作るしかなかった。
「いや、日曜の夜に作ればいいでしょ」なんて言う人は、まったく話を分かっていない。
私たちは「できるだけ平日の負担を減らしたい」。
つまり、できるだけ豚汁を日持ちさせたいのだ。月曜日に呑まないものを日曜に作っていつまで日持ちするんだ。考えてみろ。おい。どうだ?
月曜の朝に作るしかないでしょうが。
当然、私が作る。
「ぼくが、つくるよ」日曜の夜、豚汁をどうするか恋人と議論を重ね(17秒くらいかな)、その結論に私は率先して手を挙げた。
「ありがとう」恋人はご満悦であった。
恋人が率先して名乗り出ない時点で(月曜の朝に作ると提案して2秒ほど間があったら察さねばならない)、彼女が早起きして豚汁を作りたくないことは明白、私が率先してさも「作りたい」かのように振舞わないと彼女が不機嫌になる。
不機嫌にさせるくらいなら自分の睡眠時間くらい屁でもない。
6時半に起床し、眼をしょぼしょぼさせながらゴボウを洗った。
泥が流れていく土の香りに、なんか、春、って感じて、一句捻りたいところだけど捻るよりゴボウを擦るのが優先だったのでやめた。まだまだやることはたくさんある。
おかげで目が覚めた。
豚肉を解凍しながら大根と人参の皮を剥いて切り、水に浸けておいたゴボウをささがきにして、コンニャクをかるく洗い流し、しめじをほぐす。
こうやって一文に書いてしまうとリズムに乗ってさっさとできる過程のように見えるだろうが、実際は大根が冷えすぎていて手が凍てついたり、人参が中から腐っている感じがしてさらにもう一本切ったり、ゴボウを洗い直したりしているのでそれなりに時間がかかっているし、まぁまぁ苦しい目に遭っている。
でもまぁ、切ってさえしまえれば、あとは炒めて茹でて、味噌溶かして味ととのえれば終わりなんだから、やることとしてはシンプルだ。
工数はそれなりにかかるけど単純にできて美味しい料理なので「料理満足度」は高い。作って後悔したことがない。
それにしても朝、味噌を溶かしながら立ち上る湯気を眺めたり、ぐつぐつ音のする鍋のそばで待っていたり、恋人が布団のなかでごそごそ動いている気配を覚えながら味見をすることの、なんと幸せな生活感かな。
早起きして豚汁を作るのは結構面倒だけど、朝日のなかでは日常がひときわ美しく輝いて見える。豚汁の湯気さえ、特別な日常の情景に映る。
それだけで早起きして良かったと思える。
恋人が起きてきたころ、豚汁は完成した。