「した方がいいかな」とおもったことは絶対にした方がいい。
これは24年生きてきて最近気づいた法則で、主に仕事の場面ではよく直面する問題である。
「した方がいいかな……でもしなくてもいいよな。面倒くさ。知るかばか。帰ろ。帰って飲酒に浸ろう」などとその場を疎かにすると、帰宅後に急激に気になって落ち着かなくなったり、後日、そのときのミスが発覚して大変なことになる。
だいたいこれによって私のミスは引き起こされる。
ひどかったのは、「めんどくさ。報告するほどのことでもないわ」とおもったものが5カ月後くらいにミスとして発覚し、取り返しがつかなくなったことがある。やれやれ。
「した方がいいかな」とちょっとでも思ったのなら、した方がいいに決まってる。
ベストを尽くすべきなのだ。
すこしでも疑問に思ったり、引っかかったことがあったら、いったん手を止めて、先輩に相談すべきだ。
どうしてそんな簡単なことができないのか、つくづく呆れてしまうけど、そこには怠惰と薄っぺらいプライドがあって、自己分析するほど自己嫌悪に陥る。
臆病に思う気持ちがあって「確認」の作業が入るのだが、その臆病さが「隠ぺい」のベクトルを選ぶとろくなことにならない。薄っぺらなプライド。卑怯な臆病。
すべてはベストを尽くそうとしないから後悔に至るのだ。
昨日もベストを尽くさなかったために、今とても後悔している。
何事においても、ベストを尽くそうとすべきだ。
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このように、最近気づいた当たり前のこととしてもう一つ挙げたいのが「横着するな」だ。
物事を横着してやろうものなら、正当にやるよりも時間がかかり面倒くさいことになる。
そんなことに24年生きてきて、最近ようやく気付けた。
ゴミを捨てるときは遠くから投げ入れるよりも、きちんと側に寄って捨てた方が確実だ。
物を運ぶときは全部一気にのろのろ運ぶのではなく、小分けにして往復した方がいい。
横着はいかん。
きちんと身体を縦にして、てきぱき動いたほうがいいに決まっている。
つーか、ここまで書いて思ったけど、私の失敗の基本にあるものは「怠惰」なんだな。
ということは、怠惰癖を直せば万事はうまくいくということ。
万事が上手くいけば、人生はウマい方向に転がり、そのうち豪邸に住んで大きな犬を飼い、高級な猫を飼い、池には錦鯉が泳ぎ、家は綺麗で、外車に乗り、プールがあって、壁にはアートが飾ってある。美しい木目の柱がある。食パンは高級生食パンしか食べない。
怠惰を正せば、そうなれるに違いない。
私は怠惰をやめるぞ。実直に、真面目に生きるぞ。
でも動くよりも、こうして想像してる方が楽なんだよナ。