蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

改札口のカップル

と1週間で仕事を辞めるのにどんどん新しい仕事をふっかけられてきて腐った気持ちになってた帰り道、もう知るもんか。

めちゃくちゃになればいいと ほき捨てて最寄駅の改札口を出ると、高校生くらいのカップルが、別れを惜しんでイチャイチャしてるのが目に入った。

目に入ったというか、5秒くらい観察した。

しました、観察。目に入った、じゃなくて、目に入れた、です。

ひとしきり観察したら、そんで、気分が晴れた。

改札口でイチャイチャしてるカップルっていつ見てもいいもんだ。

カップルは互いに背中に手を回して腰を擦り付け合い、今や唇を重ね合わさんとばかりに接近して二人の温度を確かめ合っていた。その動物的な欲求の一方で、もうこの日は別れなくてはならない、愛しくてたまらず胸が痛くなるほど切なそうな人間的感情のぶつかり合いを見て取れる。なにかドラマチックなロマンスを感じ取れる。

いい。

完全に二人だけの世界。誰も触れない。もう好きにしたらいい。

ここでキスして。心の中の椎名林檎が歌い出す。

お前ら、もしクラスのやつとか同じ塾のやつが通りかかったらどうするつもりなんだ、とか無粋な言葉を投げてもきっと彼と彼女は意に返さず互いから目を離さないだろう。相手の瞳の奥に落ちていくように、深く、鋭く、猛烈に。

二人の間にもはや言葉なんていらない。もとからこの感情は言葉にできないものだから、むしろ言葉にするほど薄れていくものだから、100%を表現できない言葉なんて欠陥ツールを使うくらいなら、相手の温度をできるだけ手のひらに感じている時間が長い方がいい。

そんな二人を眺めていると、くさくさした気持ちも和らぐ。

他人がイチャイチャしてるのってあまり見れないから、つい目で追っちゃう。

 

こういったことはなにも若者だけに限らない。いい歳したおじさんとおばさんのカップルが改札口で年甲斐もなくイチャイチャしてるのもたまに見かける。

自分がおじさんだったらみっともないから絶対にやらないだろうけど、他人のを眺める分には好きだ。

また1週間もすれば会えるだろうに、二人は今生の別れのように、まばたきの時間すら惜しんでくっつき合う。このまま一体化してしまうんじゃないかと心配になるほど強く抱きしめ合う。

キスだってしちゃう。

世界がどうなろうと関係ない。そんなメッセージの込められたアツい口づけが炸裂する。今ここでキスしないなら今ここで死ぬしかない。そのとおりだと思う。

中年のカップルからは、若者にはないなにか「禁断」の雰囲気を感じ取れる。

 

なんていうか自由でいいよな、と改札口のカップルには思うものだ。

もっとみんなも愛し合えばいいのにな。

恋人や夫婦でできるだけ愛を伝えた方がいいし、その手段のひとつとして、どこでもキスをすればいいのに。パートナーを愛してるってことはすごく素敵なことだしそれをアピールしてなにがおかしいのだろう、なんてことを考える。

もちろん、表には出さない美学もあってそれが尊い気持ちもよくわかる。

 

それにしても、改札口でイチャつく二人に見える剥き出しの感情、それがたまらなくて垂涎の見ものだとついつい足を止めて遠巻きに観察してしまい自分は、かなり気持ちが悪い人間な気がしている。やばい人かもしれない。

でも、人前であられもなくイチャつくカップルと、それを遠巻きに観察する私、どっちがヤバいのだろうと考えてみて、そう変わらないのではないかと結論づける。

邪悪さは間違いなく私にあるだろうが。

 

ところで、改札で別れを惜しむようにイチャついてそのまま二人で同じ電車に乗って行ったらちょっと面白い。