野口聡一さんが再び宇宙へ飛び立つというめでたいニュースを見た。
めでたいのかはわからないけど、不幸なニュースではないはずだ。
地球を離れ、宇宙空間に飛び、さまざまな実験をしたり大虚空を観察し星々に思いを馳せたりすることが不幸なわけがない。希望に満ちていて、同じ人類であることが誇らしい。憧れと言ってもいいだろう。
でももしかしたら、あるいは不幸なことなのかもしれない。
私は宇宙に行ったことが無いのでわからないのだが、宇宙には宇宙なりにつらいことや陰湿なことがあるかもしれない。
あの気の狂いそうな宇宙ステーションに半年も滞在するのだ。何も起こらないわけがない。
メンバに体臭のきつい人がいたり(腐乱死体のニオイがする)、食事中に屁をこいたり(腐乱死体のニオイがする)くっちゃくっちゃうるさい人がいたり、たいへんな嘘つきがいて団体行動を乱す輩がいた場合、かなりのストレスがたまることは請け合いである。
結局、どの現場でも人間関係が最も厄介で、徹頭徹尾仲良しこよしなんてことはあり得ないし、ましてやそれぞれ異なる国籍の生まれで当然のように他人同士だから生活の「かんじ」も違うだろうし、プライベートもなさそうだし、ちょっと想像しただけで厄介な事例がいくつも浮かんできて、私はお願いされても宇宙ステーションへは行きたくなくなってきた。
「半年」という期間は肉体的にも精神的にもギリギリなのかもしれない。
宇宙ステーションでの生活は、シェアハウス・レベル99といったところだろう。
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幼いころから父親に「お前は将来必ず月に行け。月が無理なら火星に行け。お父さんの齢じゃ無理だ。おれのかわりに行ってくれ」言われ続けてきた。
今ではそれが遺言でもある。
だけど父親のことは嫌いなので、彼のために月に行こうとはおもわない。
行けるとしても、私は私のために月に行きたい。
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月から地球を見て、私はどうおもうだろう。
常々感じている拭いきれない孤独感は増すだろうか。あるいは自分がちっとも孤独なんかじゃないことにようやく気付けるだろうか。
朝に降る静かな雨の音を思い出すだろうか。
母親の作る鶏肉とワカメの煮物が恋しくなるだろうか。
ムーン・リバーを口ずさむだろうか。
恋人と過ごした秋を懐かしく思うだろうか。
深夜に手を擦り合わせながらなんとなく寂しくてコンビニに向かう道中の冷ややかな夜の静けさと月の冷たさを比べるだろうか。
行ってみないとわからないことはたくさんある。月だけでなく、隣の駅ですら行ってみないとわからないのだ。
だけどたぶん、これだけはわかるのだが、結局私は月面でも大嫌いな父親の遺言を思い出して、地球に中指を突き立てるとおもう。
高らかに。軽やかに。