蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

わけのわからんとこで笑うクセ

  れは私のクセなので、それも悪めのクセなので、是非とも治したいと思っているのだが、しかし、クセは治らないからクセなのだ。

    このクセは治らんやろなぁと関西人でもないのに関西弁を使って思ってしまうのは、あまり真面目ではないからであるし、そこまで困っていないからでもある。

    だけど、治せるなら治したいものだ、笑うクセ。

 

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    私は変なとこで笑ってしまうクセがある。

    たとえば、法事で笑ってしまう。

    私はお経を誦(よ)む法事が苦手だ。お坊さんが独特な節回しで外国語をギュンギュン唱えているし、みんな神妙な顔をしているし、それでいて誰もお経の中身を理解していないのに真面目な顔つきで、あるいは悲しい顔で眉をひそめているその状況がシュールギャグみたいで可笑しい。

    その真面目な最中、ポクポクと硬くて丸いコミカルな音がする。木魚だ。

    みんな神妙な面持ちで臨んでいるというのに、なんて間抜けな音だろう。次第にテンポが速くなり、あるいは裏拍になったりして技巧的である。ふざけてるのか?

    チーーン、と金属の澄んだ音がして、ここでサビだと言わんばかりである。お経はそのまま間奏もなく2番へ突入する。鎌倉時代に米津玄師がいたらこんな経を編むだろうか。

    そんなことを考えていると余計に面白く、ここで絶対に笑ってはいけないという状況がまた面白くさせる。こっちは人が死んでいるのだ。やめてくれ。

    ふううううと震えた息を吐き、顔を上げる。

    ハゲがいる。

    ハゲを笑うのはよくない。だけど、やっぱり面白い。そこには不幸がない。そして最悪の不幸がある。

    お坊さんは頭を丸めて何がしたいのかと言うと、結局のところ参列者を笑わせたいのではないかと思われる。

 

    こうなってくると周囲のありとあらゆる状況がシュール極まりなく、自分はこんな宇宙の片隅で何をしているのだろう、わけのわからないことをしているのだろうと悟りの境地にある笑いに蝕まれて、もうだめだ、南無阿弥陀仏もギャグにしか聞こえない。

 

 

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    このように、私は不謹慎極まりない俗物で、これは前世畜生であることは自明のこととして、法事のみならず仕事中もこのような笑いが起こるので本当にどうにかした方がよい。

    仕事で電話を取って、わけのわからないことを言われると笑ってしまう。

    声こそ出さないけど、ニヤニヤして先輩に不審な目で見られてしまう。

「どうしたの?」先輩は優しく訊ねる。

「いやぁ、電話対応で、実はかくかくしかじがの件があったみたいで、どうしたらいいのかなぁと」

「それめちゃくちゃヤバイやつじゃん」

    このとき、デスク周囲はどうしようかとちょっとした騒ぎになるのだが、私の笑みは止まらない。

 

    また、今日は先輩がひたすら番号を読み上げ私がそれを書き取るというちょっとした事務作業があったのだが、やっているうちにシュールな気分になってきて、ついに笑ってしまった。

「な、なに?」

「すみません、ちょっと、なんかわかんないけど、面白くなっちゃって」

「楽しそうでなによりだ」

 

 

    今は、私がわけのわからないところで笑っていてもなんだか許されてる感じだけど、そのうち気味悪がられるかもしれないし、いずれは怒られる気がしてならない。

    先輩に怒られるのならまだいいのだが、ユーザーに怒られるとかなりヤバイ。

    クビ。

    そう言われるかもしれない。

 

    これはちょっと笑えないではないか。