蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

いい本との出会い

い本との出会いとはすなわち、いい著者との出会いだ。

文芸に限って話を進めるけど、なかなかそういった作者には出会うことは叶わない。

人間にはそれぞれ性格や形があるように、文章にも性格と形がある。自分の心の凸凹な形状にぴったりと寄り添ってくれるような、あるいは心の形そのものを変えてしまうような素晴らしい作家には、そうそう出会えるもんじゃない。

芥川賞を獲っていたって、直木賞を獲っていたって、自分にとってその作品と作家が大切になるかどうかはわからなくて、賞歴や経歴なんてあくまで目安でしかないと思っている。

 

世間が面白いと言うものに対して自分が面白いと思えなくたって、劣等感を抱いたり悲しくなったりする必要はない。好きだと大声で言えるのと同じくらい、確固たる嫌いなものを持っているとか、ちょっと待ってと言えることとか、自分にはピンと来なかったと明確に考えられることは大切で、自分自身を知るきっかけになる。

誰も好きじゃないと言っていたって、自分が好きならそれでいいわけで、それでセンスをバカにされようが知ったこっちゃない。そんな風にひとをバカにするほうが頭のセンスを問われなければならない。そういう人だけが堕ちる地獄があるらしい。

 

ちょっと(かなり)話が逸れてしまったけれど、そんなわけで(どんなわけで?)、なかなか自分の好みと合致する作品であるには出会えないものだ。私が無闇にいろいろと読んでいるのは、その合致を求めているからだ。

 

年間に70〜90冊くらい本を読んでいる。たぶん。正確な数字はわからないけど、読書好きにしては少ない方かもしれない。読むのが老人の咀嚼くらい遅いのだ。

それだけ読んでも「これだ」と思える本に出会えるのは多くて5〜6冊くらいだと思う。著者にしたら2人か、多くても5人いれば、良い一年だったと言えるだろう。

良い著者というのは、信頼できる作家である。

新しい作品を開くたびに懐かしいような居心地の良さがあって、何度読んだ作品でも本を開くたびに新鮮な驚きがある。

読み終わったとき、物語の結果はどうあれ、しみじみと「よかったな」とため息をついて、窓辺の陽の温もりに手を置きたくなるような、そんな作家であり、作品だ。

そういう作品を読むと誰かに話したくなるけれど、うまく説明できたためしがない。言葉にすればするほど感動が空(くう)に溶けていく気がする。

 

そんな本と出会えることは稀だけど、そんな本と出会いたいがために読書をしている。

いまは初めて『ハリーポッター』を読んでる。

これはけっこう面白いのでオススメだ。うまくいけば、すごい流行るんじゃないかな。アニメ化とか映画化とかするかもね。