蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

靴の修理/修理された靴

事用の革靴のかかとがだいぶ擦り減ってしまって、はた目に見るとみすぼらしくいい加減にした方がよいと思って先日、修理に出した。

内側に傾くように擦り減っていて土踏まずのあたりが変に出っ張っている状態になり、これを見るだけで私が普段どれだけ異常歩行をしているかが見て取れ、まっすぐ歩けないのを世間にひけらかしているようで恥ずかしくなった。ただちに修理すべきだった。

そう思いつつも半年くらい放っておいたらますます状況は悪化して靴のくせに沈みかけの船みたいな傾き方をしてはなはだ歪になり、いよいよか、と腹をくくったのである。

 

恋人もブーツを修理に出したいというので二人でボロボロになった靴を両手に持ち、やたら落書きと水たまりの多い街をウロウロしていたところ、幹線道路に面した高架下に三畳ほどの大きさを誇る修理屋を見つけた。

「鍵・靴 その日のうちに」と通りに面した黄色い看板には黒のゴシック体(太)の警告色で掲げられている。合鍵と靴の修理を併せてやるタイプの店だ。

昔から気になっていたのだが、どうして靴修理屋は合鍵も作っているのだろう。片手間、なのだろうか。それとも合鍵づくりの息抜きに靴を修理しているのだろうか。この二つは結構離れているジャンルだと思うのだが、どうなのだろうか。素人目にはラーメンとクロワッサンくらい違うように思えるが、プロからすればプリンとババロアくらいの違いなのかもしれない。

店を観察していると、わりとひっきりなしに客が訪れ、靴を修理に出したり、修理の終わった靴を引き取ったり、なにか話して笑ったりしていた。どうやら信用に足る店みたいだった。

三畳の店内はすべて作業スペースで、客は通りに面したカウンター越しに注文をすることになる。店内では気の良さそうな男性がニコニコしながらベルトサンダーのような器具でなにか物体を研磨していた。ベルトサンダーをニコニコしながら操作している男性がはたして気が良いのか不明だが、少なくとも不機嫌には見えない。営業は彼一人でやっているようだった。

「すみません」と声をかけても気付いてくれない。

それもそうだ。ベルトサンダーがなにか物体を研磨しているし、幹線道路に面していてひどい騒音だし、高架に鉄道が走って金属音を唸らせているのだから。柳が風に葉を揺らすような私の声が届くはずもなかった。

仕方なしに戸をやや強めに叩くと店員は気付いてくれて作業の手を止め、ニコニコとなにやら挨拶をし、私のみすぼらしい靴を受け取るとワケ知った顔でかかとの摩耗を観察した。

「……!…………?……。(笑)」

なにか言っているのだが、騒音でほとんど聞き取れない。

私はとりあえず頷き、とりあえず笑みを浮かべ、すべての問いに「ハイ」と返事した。

すると電卓を持ち出して金額を提示してきたので、なにやらいつの間にか交渉が成立したことに戸惑いつつも、良心的な価格に安心し、代金を支払った。

「17時に……くだ……」

負傷した兵士のような声で、かろうじて時刻だけ聞き取れた。どうやら17時に修理は終わるらしい。今から2時間半ほどで終わるのか疑問だったが、プロからすればこの程度の故障は2時間半もあれば充分なのだろう。

 

修理の終わった靴のかかとはまさしく平らに仕上がって、靴として立ち上がった姿に戻った。

履いてみれば、なにか自分の尊厳が取り戻されたような気すらした。

カツ、カツ、カツ、と角の立った音がして、大理石でできた壮大なホールを背筋を伸ばして歩きたくなる。靴はこうあるべきなのだ、という音がする。

それで調子に乗って歩いていると、通勤で数回、足を軽くくじいてしまった。

今までの歪んだ歩き方が矯正されているのだ。はっきり言って歩きにくい。自分の歩行にどれだけ無駄な力が加わっているのかよくわかる。私の体幹は松の老木のようにねじれ曲がっているのだろう。

「背筋を伸ばしたくなる」というよりも「背筋を伸ばしていないと転びそうになる」かんじだ。

 

歩行、かくあるべし。靴が教えてくれる。同時に過去の私を拒絶する。

もうすぐ26歳になるし、まっすぐ立って歩くべきなのだろう。