蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

戦争に関する二つの話

「外交的手段としての戦争」というものがあると知ったのは受験生の頃だった。

予備校の先生がやや思想強めの人で、戦争(武力)は外交の最終的な手段であり、取引を優位に進めるための道具だ、と毎回の講義で弁を振るっていた。そこから話は憲法九条のこととか自衛隊のこととか米軍基地のこととか、いつも同じような流れに続き、あまり授業がすすまない。先生は右でも左でもない、と必ず言ってた。

当時の私は素直にそういうもんか、と思った。事実としてそういう側面が戦争にはあるのだ、と。

それにしても歴史とは戦争の歴史に他ならないものだ。

大きすぎて漠然としている戦死者数、負傷者数、生存確率の低さ、そういった数字の規模感を年号と共に覚える。どれだけの人が亡くなったのかは試験に出ないのですぐに忘れてしまうけど、とにかく「たくさんの人」が亡くなっている。

戦争が起こると技術が発展したり新たな社会システムが構築されたり、悲しいけど平和な時代よりも文明的に躍進する。そういう側面がある。

戦争は外交的手段であり、そしてテストで点を取るための頻出ワードだ。終戦時の条約や宣言とセットで覚え、原因と結果と関係を整理し、当時の元首の名前と結びつける。

これがひとつ目の話。

 

大学生になって、教授の雑談で戦争がどれほどむごいものだったかを聞く機会があった。ここからがふたつ目の話。

実際には教授は戦争を体験しておらず、教授の教授──つまり学生時代の教授を指導していた大先生の話を又聞きするようなかたちになる。

大先生はあやうく広島で被爆をしてもおかしくない立場だったらしく、なにかすこし予定が違っていればその命はなかったらしい。ご学友や故郷の友だちを失い、戦火にのまれ、その話にはリアルに戦争を経験した人の感じた恐怖と理不尽があった。

「武力を放棄して、それでもし戦争状態に突入すれば、男たちは過酷な労働で死に、女たちは犯されるだろう。それでもなお、戦争だけはしたくない。してはならない」と大先生は言ったらしい。

そう言わせしめるほどの切実さがこもっていたのだそうだ。

 

この二つの話から私が言いたいことは何か?

自分でもよくわからない。

ウクライナへの侵攻とロシアの宣戦布告をSNSで知り、さまざまなニュースで事情をさらい、Twitterのトレンド設定を東欧や中東にすると現地の様子が生々しい写真と共についさっきの様子として入りこんで来るのを見て、二つの話を思い出したのだった。

国の思惑、歴史的な背景、利権、外交的手段としての戦争、武力。

SNSで流れてくる現地の混乱の様子や惨い死体、破壊された建物、その建物に特別な思い入れのあった人がいる、住んでいた人たち。

数字は数字でしかなかったり、侵攻の様子は事実を伝えてはいる。今回のウクライナだけではなく、どの地域の紛争でも同じことが言える。

私はニュースを見て知った気になっているし、世界史を勉強してわかった気でいる。

本当のところはなにひとつ知っていないし、これっぽっちもわかっちゃいないのに。

自分がどう考えるか、なにを正しいとしたいのかすらも、わからないでいる。

 

「外交的手段としての戦争」なんて嫌な言葉だろう。

混乱するすべての人々に、一刻もはやく平穏が戻って、温かいベッドで安心して眠れる夜が来ることを祈っている。

 

 

追加:

おれは戦争に反対だ。どんな理由があろうとも。