読書をしながら甲子園を流し見するのんびりと怠惰で素晴らしい土曜日を過ごしていた。
高校球児の爽やかさというのかな、精悍の顔、一球一球に込められたドラマが僕の栄養になる。勝っても負けても、笑顔も涙も、僕の栄養になる。
ああ、この精悍をサカナに、酒を飲みてぇ。
そう思った。
高校球児の人生をかけたこれまでの努力が実る瞬間と、もしくは惜しくも及ばない瞬間をツマミに、酒が飲みてぇ!
僕は激しくそう思った。
しかし、先週買った芋焼酎は昨夕に飲みきっちゃったし、冷蔵庫に缶の一つも冷えてなくて、状況は極めてあきたりなかった。
家中を探しても酒と呼べるものは料理酒とまだ浸かりきっていない梅酒しかなくどうしようもない。
一方、外では台風が近づいてるのもあり時折激しい雨が窓を叩いていた。
なんてことだ。
買いに行くにも僕は自動車を持っていないため、濡れ鼠となってスーパーまで歩かねばならない。
そんなことがあっていいのだろうか?
僕のちょっと偉かったのは、ここで自制心が働いたことだ。だいたい、まだ午前中なのに酒を飲みはじめるのはいくら休日と言えども自堕落の象徴だし、それもなんだ、純な意気で白球を追いかける高校生をダシとして飲酒に興じようとするのはまったくもって汚い大人のすることであり懈怠と見なされても仕方がない、堕ちた人間になる前にここは踏ん張りどころだ、と自分を諌めた。
家に酒がないのはつまり、僕が僕であるために必要な、神からの試練なのだ。そう思うことにした。
それにしても夜になったら飲酒はしたいから、あとで買いに行こう。
その時はひとまずそう自分を納得させたのである。
甲子園球場は晴れていて風はあるものの台風の気配なんてテレビ越しには見られなかった。東京でも午前中に激しく雨が降ったり止んだりしたからこれが台風なのだろうと、ニュースをよく見もせず勘違いし、午後には晴れ間が出てスーパーに行けるだろうなんて見当違いなことを考えていた。
ちがった。
午後からが台風の本番だった。
さて酒でも買いに行くかと昼寝から起き上がった頃、窓外が雨煙で白く曇り、隣家の屋根すらも覚束なく見渡せなくなるほどの雨が降っていた。硬い雨粒が軒を叩き、音すらも阻まれる。
この状況ではとても酒を買いに行けない。
Yahooの天気予報で雨の止む時間を調べたところ22時ごろには落ち着くと書いてあったが、逆に言えば22時までノンアルで過ごさねばならないというわけで、そんなのちょっとあり得ない。
しかし外、ものすごい雨。とても出られる状況じゃない。
雨が激しさを増すにつれ、酒を飲めないと思えば思うほどより恋しく、狂おしくなってくるのはなぜなのか?
まずは落ち着こう。
そもそもどうしてこんなに酒を飲みたいのかをよく考えてみることにした。
しかし、5分くらい考えたけど理由なんてなかった。
飲みたいから飲みたいのだ。
休みの日くらい飲酒させぇよ。これだけが楽しみなんだよ人生の。おれを哀しいなんて言うなよ。充実してるよ毎日。
すると祈りが通じたのか、にわかに雨が弱まった。どういうわけか小雨にまでなっているではないか。今をチャンスとすぐさま家を飛び出してスーパーへ向かった。
スーパーへ駆けながら自分は何をしているんだろうと虚しくなる気持ちがないでもなく、なにかちょっとこう、情けない気分になるのは、雨に降られて少しずつ濡れてきてるからなのだろうか。
酒を飲みたくて仕方がなくてイライラし、晴れ間乞いして雨風の中を走ってる。欲望のままに生きすぎてる。酒がないと人生を楽しめなくなってる。
雨脚が強くなってきたときスーパーへ着いた。
目当ての酒をカゴに入れ、アボカドも安かったので入れ、牛乳とパン、鶏肉なども急いで買った。
店の外はまたものすごい雨になってかなり危ない感じ、当たり前だけどこの中を傘差して歩いてる馬鹿なんていない。
僕以外は、誰も。
傘なんてほとんど意味なくて、スニーカーは餅巾着みたくズブズブになりもはや靴としての要件を満たしておらず、ステテコもいたずらに水を含んで腰からずり落ちそうになる。跳ね返った水滴が腹や背中にまで及ぶ。
濡れ鼠。ずぶ濡れ。片手に缶チューハイ。
おれはなにをしたいのだろう。
ほんとうに人生このままでいいのか?こんなことでいいのか?
ここはもう9回裏なのか?
白球を追いかけて汗と涙に濡れる高校球児たちと、アルコールを追いかけて雨に濡れる僕の対比があまりにも残酷だった。