蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

コインランドリー・ナイトメア

  れは今思い出しても悪夢的な出来事だった。2017年夏のことだ。

 その夏のあの日は雨が降り続いた一週間の最後の方で、私のアパートの部屋は湿気で溺れ死にそうになっていた。部屋干しで乾くわけもなく、湿度は増すばかり。

 エアコンで除湿しつつ、除湿器も稼働させたがすぐに水いっぱいになってしまい、どんだけ空気中に水が飛んでいるのかゾッとした。これがいずれ衣服や壁紙にカビを発生させるのだ。

 すでに私の頭はカビが生えたように鬱屈としていて、洗濯物を乾かせない悲しみに濡れていた。また部屋の湿度が上がる。悪循環だ。

 コインランドリーに行こう。

 もはや着る服も最後の一着となって、私は決意した。

 大量の洗濯物を抱えて、いちばん近所にある、ほんとうに6畳ほどしかないぼろぼろのコインランドリーへ傘を差し走った。

 

 ↓

 

 見るからに古い洗濯機と乾燥機がごうんごうんと回転している。乾燥機は空いていない。

 コインランドリー・バージンだった私はコインランドリーのシステムがよくわからなかったので、とにかく空くまでそこに待つことにして、置いてある漫画雑誌に手を伸ばした。

 これもまたボロボロになった少年ジャンプだった。発行日付を見ると、半年前のものだった。ページをぱらぱらめくっても知っている漫画はもう載っていなくて、知らない漫画を途中から読むことほど時間の無駄もないので、おなじく置いてあったこち亀のコンビニ本をめくった。よかった。「こち亀」は不変だ。安心のクオリティで、同じ型で、話は進行もせず、それなりにおもしろく笑えて、時にはへぇ~と頷かせる。

 

 「こち亀」を読んでいると他の客が入ってきて、止まった乾燥機から衣服を取り出し、去って行った。

 その乾燥機に私はたんまり溜まった乾かない洗濯物をつっこみ、300円投入した。

 現代の硬貨が通用する機械なのか不安はあったが、その乾燥機にはボタンがなく、金子(きんす)を投入して扉を閉めると、勝手ににゴウンゴウン回転を始めた。

 やれやれ。一安心だ。

 さっきの客を見ると、どうやら扉の取っ手に袋をぶら下げておけば外出してもいいらしいことがわかった。私は大きなビニール袋をそこに提げて、スーパーへジュースを買いに行った。

 

 ↓

 

 スーパーでジュースを買い(たしか豆乳を買った)、飲みながら戻ってきたとき、コインランドリー店内から稲妻のような音がした。

 なんだ?

 機器の故障だろうか?まったく、これだから古い機械は。

 やれやれと思って店内へ入ると、その音は外に聞こえているよりも凄まじく、雷が転げまわっているような鋭く鈍い音がして、たとえば「軋轢(あつれき)」に音があるとしたらこんな音なのだろうな、って感じだった。

 

 ガンっ!!!!ガラガラガラガラッ!!!!ギャリギャリギャリギャギャギャギャギャギャギャ!!!!!!グアアアアアアアアア!!!!!!ガガガガガガガガガガガガガガガ!!!!!!!!!!ガンガンガンガンガンガン!!!ガガガガギギギギギギギギ!!!!!!!ギャインギャインギャインギャインギャイン!!!!!ギュインギュインギュインギュイギュギュギュギュインギュインギュインギュインギギギギギギギギギギギギギギギギガガガッガンガンガンガンカラカラカラカラガガガガガガ!!!!!!!!!!!!!!!!

 

 地獄の番犬が踊り狂いながら殺戮しているような音。

 なんなんだ一体!何が起きてるんだ!

 管理者に問い合わせた方がいいのだろうか?このままだと近隣住民に通報されるのではないか。

 しかしその音を聴察すると、どうやら乾燥機の内部から音がしているらしく、しかも対象の乾燥機は私の衣類を乾かしているそれだった。

 

 え?

 

 なにこれ、死ぬのかな?

 自然にそう思った。コインランドリー・バージンには手痛い洗礼である。私が何をしたというのだ。やめてよ。怖い。紀文の豆乳ドリンクがわなわな震えた。

 乾燥機の扉にはいくつか注意書きが書かれている。どうにかして止める方法がないかそれを読みこんだ。

 

 ・乾燥中は扉がたいへん熱くなります!

 ・羽毛製品を入れると発火する恐れがあります!

 ・金属類や石など硬いもの、プラスチック製品は入れると故障の原因にもなります。

 

 なにやら不穏である。これは止めた方がいいだろう。それに音で耳がおかしくなりそうだ。

 だが、「停止」ボタンがどこにもなかった。扉を無理矢理開けようにも開かないし、熱くてかなわない。がんがん叩いても止まらない。

 乾燥機はひたむきに、ただひたすらに己の使命を全うしようとしている。その間も雷は転げまわる。

 

「もうやめてくれぇぇぇえええ!!」

 

 つい叫んだが、乾燥機は止まらない。音が凄まじくて自分の叫びも自分でよく聞こえないほど。「~~~~~~~っ!!!」ってなってた。

 なんなんだこいつは。

 己の使命を全うしようとするあまり、目的と手段をはき違えてるんじゃないか。愚直すぎる。上官命令への従順さは評価に値するものだが、はたしてその命令が虐殺を指示するものだとしてもこいつは愚直に上官の命令に従うのだろうな。ただ目的と手段をはき違えて、自らの出世のために命令通り計画通りに民族浄化を推し進めるのだろう。凡庸な惡。サタンめ。誰しも惡になりうるのか。

 と、批判して気分を紛らわそうとしても鳴りやまない悪夢。

 「こち亀」を呼んでも内容がほとんど頭に入ってこないので、外に出て他に客が来ないか見張ったが来ない。雨の中の孤独は10分弱続いた。 

 

 ↓

 

 終りはじつに静かだった。

 とつぜん痛みが引くように乾燥機は停止し、満足そうでも不満そうでもなかった。「やるだけやりました」と無垢な面持ちですらある。

 私の耳は暴音にやられ、その静寂ぶりがまた恐ろしく、いよいよ鼓膜がやられたかと思ったが、茫然と立ちすくむうちに しなやかな雨の音が聞こえてきて、ああ、乾燥は終わったのだと、ようやく現実に目を覚ますことができた。

 

 服は完璧に乾いていて、ふっくらとあたたかく、清潔なにおいがした。

 と、カラン、なにかが落ちた。

 それは、100円玉だった。

 

 あ、思い出した。

 

 これ、コンビニ行ったときの釣銭で、スエットのぽっけに入れたまま乾燥させちまったんだ。

 ずばり暴音の正体はこいつだった。

    なんてことだろう。あまりの呆気なさ、情けなさに、100円玉を踏みつけたくもなった。

 100円に泣く日が来るとは。

 踏みつけず、自業自得と戒めて拾おうとしたらものすごく熱くなっていて、ぎゃん、と鳴いてしまった。乾燥機は高温なのだ。15分も中で暴れ狂えばそれなりの温度にもなるだろう。

 ギ、と睨みつけ、しかし拾えないので、冷めるのをちょっと待つ間「こち亀」の続きを読んだ。

 

 両津のバカはどこへ行った~!クスクス。