蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

12歳の震災

が12歳の頃といえば、あのとき何を考えて生きていたかなんてまったく覚えていないくらいに茫漠漫然としていてほとんど定かではないのだけど、ひとつだけ明確に覚えているのは当時から「算数の授業は嫌いだったこと」で、とくに前に出て問題を解かされるのが本当に嫌だった。吐きそうだった。先生が生徒を選ぶ際に名前の書かれたマグネットのカードをトランプよろしくシャッフルし、一枚抜き取って黒板に貼りつけ、そこに名前の書かれている子が前に出なければならなかった。吐きそうだった。

どうすればできるだけ避けられるのか、ひじょうによく考えた私は、自分のマグネットカードの四つ角を丸く切りそろえてみた。他のカードよりも小さくしたのだ。ほんの少しだけ。

そんなことではたして効果はあったのか?

ひとつだけ言えることがある。

私が小学6年生の算数の授業で学んだことは「マグネットを小さくすれば絶対にあたらない」ということだけだ。

 

12歳の頃なんてそんなもんだった。

自分が生まれた年、1995年に何があったかなんて教科書とか大人の話でしか知らなかったし、知っていたとしてもうまくイメージができなかった。

阪神淡路大震災地下鉄サリン事件

この二つは今だってよくわからない。知っているけどあくまでも自分が生まれた年の出来事というだけで、教科書に載っている現代社会の歴史の一項目なのだ。

今12歳の子どもたちにとって東日本大震災は、教科書の1ページや毎年この時期になるとテレビで取り上げられる話題に過ぎないのかもしれない。とくに被災地には住んでいない子どもたちにとって。

12歳の私にとって1995年はかなり昔のように思えて、自分とは関係のない世界の出来事だと思い込んでいた。

大人になった今、12年前の出来事はついこの間のことのようで、時間は連綿と続き現在に至っているということを実感している。

私が遠い過去だと思っていた12年前は、こんなにも近い出来事だったのだ。不思議な感覚に陥る。

 

震災関連の動画を見たりすると、あまりの恐怖に身がすくみ、涙が出てしまう。

ドキュメンタリー番組を見ると、癒えようのない痛みを抱えた人々の境遇に胸が締め付けられる。

でも、そのときに流した涙も、胸の苦しみも、「お前は被災をしていないのだから」と言われているような気がしてくる。

安易な同情も、祈りの言葉も、涙でさえも、私から流れ出る権利はないように思えるのだ。

そしてこう書くと、被災された人に「そんなことないよ」と言ってもらいたいみたいで、私が救われたいみたいになってしまって、嫌だ。

ここまで書いたことのなにもかもが独りよがりでみっともない。

とてもとても、実際に被災された方たちにかける言葉も、向けられる感情も、私には持ち合わせられないのだ。

 

でもせめて、世間では確実に風化し、人の流れが変わり、子どもたちが震災を知らなくなっていく今、毎年この日に悲しみに向き合うことが、せめてもの鎮魂になると信じたい。