蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

消極的朝食

今週のお題「朝ごはん」

 

ごはんの話をする前に、まずは夕食の話をしなければならない。

夕食はいつもできるだけ自分たちで作ったものを食べている。それは生活の豊かさのためとか、添加物が、とかそういうエライ話ではなくて、自炊した方が安上がりだから、という消極的な理由のためだ。

それに夕食でそこまで量を食べないのだ。

だから、米と、味噌汁と、少しの炒め物、あるいは煮物をツツいてつつましく暮らしている。

米は毎晩0.7号炊く。

0.7という中途半端な数字に不安を覚えた人もいるだろう。

妻が米を全然食べてくれないので、1号だと多すぎるのだ。

1号炊いた場合、結果として私が0.7号分くらい食べることになってしまう。それに加えて食後に酒を飲んでいたら2年でかなり太ってしまったので、少なめに炊くようにしたのだ(妻は夕飯の後にお菓子を食べるために米を食べないようにしている)。

本当は米もいらないと私は思っている。でも米がないと、おかずの種類を作らねばならず、またそれによりかえって食費がかさむので消極的な理由により米を食べているのであった。

0.7号を炊き、それを三等分する。ひとつは妻に、もうひとつは私に、そして余った分を冷蔵して翌朝の私の朝ごはんにする。

 

そういうわけで私の朝ごはんは少しの米だ。

妻は準備(化粧や髪のセットなど)で忙しいため手っ取り早く食べられるパンを好む。私は米派ではないのだが、余っているので仕方なしに米を食す。これもまた消極的な理由である。

0.7の三分の一の量なのでかなり少ないのだが、私にとって朝食にはちょうどいい量だ。

米は水を少しかけてから、電子レンジで40秒ほど温める。

水を少しかけると米がパサつかない。だが、かけすぎるとびちゃびちゃになるので量には気をつける。朝露くらいの湿り気が理想的だ。

温まった米に、たいがいはふりかけをかける。「おとなのふりかけ」から任意の味を選ぶ。とくにこだわりはなくて、味はなんでもいい。

朝食の目的は生活の充実ではなく「義務」だ。

胃に糖質を入れることで体内時計をリセットする。エネルギーを補給することで午前中の活力にする。

それができれば米じゃなくてもいい。ただ、米が余っているのでそれを食べている。

ふりかけが連日続くと飽きてくるので、たまには鰹節に醤油をかけて、ねこまんまにして食す。

それにも飽きてくるので、納豆を食べることもある。

納豆はいい。

食べると「体にいいことをしたな」と自尊心が高まる。食べたそばから濁った血液がさらさらになっていく気がする。なんかわからないけど、納豆を食べるたびにちゃんと選挙の投票へ行ったような気持ちになれる。

だから納豆をよく食べるのだが、それも続くと飽きてくるので、またふりかけに戻る。

基本はこのサイクルで朝食は成り立っている。

なにかほかのおかずを取り入れたり、納豆に工夫を凝らすなどすればいいのだけど、正直いってそんなことを考えるのに力を使いたくない。朝は気分が殺伐としていて、なにか創意工夫をしたり、クリエイティブなことに注力はできない。生活の豊かさなんてものも必要なくて、淡々と物事が進行すればそれでいいのだ。お腹に何か入ればいいし、余った米を消費できればいい。

全体的に消極的な朝食である。

 

本当にできることなら、朝食を「食べた」ことにしたい。

情報処理として「食後」の状態になれるのがいちばんいい。