先日、京葉線に乗った。
京葉線といえばディズニーランドのある舞浜駅を通るJR線である。あとの特徴としては、東京駅においてもっとも辺境かつもっとも地下深くにホームがある、謎の路線である。
東京方面へ向かう列車に、ディズニー帰りの人々が乗り込んできた。
みんなどこか夢現を抜かした顔をしていて、顔がほてっている。ミッキーやその他キャラクターたちの耳をつけた人々も散見された。
私は隣に座る妻に言った。
「ディズニーランド出てもミッキーの耳つけてる人ってちょっとイタイよな」
言ってしまったから、ハッとして周囲を見回した。妻は私を睨んでいた。
「わたしは、ぜんぜんそうは思わない」妻は周りにも聞こえるようにそうアピールした。
幸い、私たちの席の周り──すくなくとも私の愚言が届くほどの周囲には、耳をつけた人はいなかった。
私はときどき自分でも救いようがないほど周囲に対して無神経になる。ほんとうに気をつけなきゃいけないし、こういったことはそもそも口に出すべきではないのだ。
大体において妻の言うように、ディズニーランドを出てもなお耳をつけていたからといって、それが別にその人の人間性の浅さを表すわけがない。むしろ無邪気で、人間のくせに可愛げがあるではないか。私のほうがよっぽど浅い。
ところで気になったのが、だいたいどのあたりの駅で耳を外すのか、ということだ。
舞浜駅から東京駅までは、以下の駅を経由する。
舞浜
↓
↓
新木場
↓
潮見
↓
↓
八丁堀
↓
東京
妻にどのへんだと思うか、小声で聞いてみた。
妻はイライラした様子で「さあね。家に帰るまでつけてんじゃない?家に帰るまでがディズニーランドだから」と吐き捨てて、知らん顔をした。もはや私とは他人でいたいらしい。
ちょうどそのとき、肌の露出の激しきギャル2人組が私たちの近くにやってきた。2人とも耳をつけている。キャリーバッグを提げていたので、きっとホテルに泊まってディズニーを満喫したのだろう。素敵だ。
よし。
2人はどこで耳を外すのか。
1人はふと我に帰ったように、潮見駅で外した。なんでこんなものが頭に載ってるんだろう、とでも言いたげに外し、即座にトートバッグにしまい込んでいた。
もう1人は結局、東京駅まで外さなかった。正確にいうと、東京駅でも外していなかった。
東京駅ではまだまだ多くの人が耳をつけたままでいて、それが通常とでも言いたげで、元からそうであったかのようでもあった。この耳は飾りなんかじゃありません。今にもぴこぴこ動きそうだ。
友だちと東京駅で別れて、そのあと1人になっても、耳をつけたままだろうか?
ディズニーランドの魔法はどのくらいで解けるのだろうか?
こんなこと調べようもないし、調べたところでどうにもならない。なんの意味もないし、価値もない。趣味が悪い。
耳を外した瞬間に詰め寄って「どうして今、このタイミングで外したんですか?」と訊ねてみたい。「夢と魔法が解けたんですか?それとも友だちに合わせていただけですか?今急に『もういっかな』と思ったんですか?ああ、それとも、今までその頭の上のものの存在を忘れていて、卒爾に今このタイミングで──東京駅に着いたちょうどこのタイミングで、思い出したということですか?」
訊いてみたい。
きっと私は、殺されるだろう。