蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

にんじんを育て、腐る

い先日まで、にんじんを育てていた。

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にんじんのヘタを器に入れ、少しの水を張ってやると、ヘタから芽が伸びてにんじんの葉が茂るというのだ。

これはかなりポピュラーな、家庭でできる栽培の一種で、ネットで調べるとやり方はいくらでも出てくる。

野菜室でカラカラになったにんじんが不憫だったので、ここはひとつ、こいつを再起させるのも酔狂と思い、年末から育て始めた。

栽培1日目にして、私は実家へ3日ほど帰省をしたため、その間にんじんは放置された。

そもそもここから間違っていたのだろう。

 

水は毎日替えねばならないらしい。

 

実家から戻ると、にんじんはカピカピに乾いてしまっていて、つるりとしていた表面は年老いた未亡人みたいにしわがれて、ところどころ黒くなってしまった。

急いで水を張る。

10分おきくらいに様子を見たが、植物ゆえのスローな時間を過ごしていて目に見える変化はない。

大丈夫だろうか?

死んでてもおかしくない。なにせ、毎日替えるべき水を、替えられなかったのだから。

 

それから3日くらいしたら、ヘタから芽がニョキニョキ伸びてきた。

ひょろっとしていて心許ないが、たしかに生きているらしいことはわかる。

なんて簡単なのだろう。植物は伸びていく様を見るのがおもしろい。その生命力に励まされる。なんか、ちゃんと生きてるんだなとわかって、可愛い。

 

今思えば、このときが最後の元気だった。

 

日中は仕事に行って、窓のシャッターもすべて下ろしているので、にんじんに陽が当たることはない。その状態でよくぞ芽を伸ばしてくれているが、ある程度伸びて以降はぜんぜん長さが出なくなってしまった。

水に浸かっているあたりから黒くなり始めてもいて、というか、全面的に腐ってきていて、よくないかんじではある。

だが芽は出てきているわけだし、たしかな生命はここにあるわけで、私はどうにかしてやりたい。

にんじんには圧倒的に陽が足りていなかった。

そこで、日中はベランダに出しておくことにした。

 

今思えば(パート2)、これがにんじんへのとどめになってしまった。

 

冬は植物を外に出すべきではない。

その日、朝のうちは晴れていたのに、夕方から雲行きが怪しくなり、関東ではみぞれのような大玉の冷たい雨が降った。

深夜に帰宅し、ベランダのにんじんを見る。

生命力が抜けていて、なんかこう、漠然と、死、を可視化したような様相だった。

黒ずんでいたところがもはや白くなり、あれだけ未来への躍動を感じさせていた芽も萎び、水にはどこからか飛んできたゴミが浮いている。

たった1日でこのザマ。

悲しみに暮れる間もなく、妻に「捨てろ」と言われた。妻はこのにんじんを、もともとよく思っていなかった(嫉妬していたのかもしれない)。

私はにんじんを、生ごみに捨てた。

もともと2週間前に捨てられるはずだった場所に、2週間後に捨てられただけのことだった。

 

にんじんを殺したのは、私だったのだろうか。

 

今でも自問自答を繰り返しては、可哀想なことをしたと、袖を濡らしている。

もう少し暖かくなったらリベンジしたい。