蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

『将太の寿司』を読破したら妻の気が狂った

『将太の寿司』というマンガを、全国大会編と呼ばれるところまで読み終わった。

連載が終わったのがこの全国大会編で、このあと時間を空けてからWorld Stage編が始まる。しかしまぁ、World Stage編は一旦置いとこう。

f:id:arimeiro:20240209214834j:image

このマンガはそのタイトルの通り、将太という男の子が寿司職人になる話だ。

16歳(15歳だったかも)の将太は上京して鳳寿司(おおとりずし)で下働きから修行を始める。同じ下働きのシンコ君や、大政さん、小政さん、そして佐治さんといった先輩に揉まれながら、一人前になり故郷の寿司屋を盛り立てることが目標の、人情寿司バトル漫画である。

 

寿司バトル、という聞き慣れない言葉に驚きを覚えた人もいるかもしれない。

寿司バトルとはとどのつまり、寿司コンテストである。

寿司コンテストで優勝すればこの世の財宝をすべて手に入れることができる。テンションとしてはそんなかんじだと思っていただければ差し支えない。

将太は寿司コンテストに新人として出るかたわら、鳳寿司で修行を積んでいく。

寿司コンテストでとんでもない天才みたいなやつが現れたり、ツケ場(寿司屋のキッチンのこと。カウンター席の前で寿司握ってる職人いるでしょ。あそこのこと)での経験値が格上の相手や、人格が破綻している悪の寿司職人、殺人未遂を起こすような凶悪犯などを寿司バトルで相手にしながら、片や日中は鳳寿司で客を相手している。

この情報だけでも、きわめて忙しいことは伝わるだろう。

将太はたいへんな努力家でコンテストの課題が発表されると(試合の前日〜1週間前に「シャリ」「光り物」「貝」などの課題が発表され、各々仕込んでから試合に向かう。当然、仕込みの段階での妨害は常套手段である)数日間は不眠不休を続ける。若さがなせるワザだが、いつか体を壊しそうだ。

このような、常にボロボロみたいな状況でありながら、敵からの妨害を受けたり、ときには迫害まがいの人権侵害まで行われる。

それに加えてこの作品には「人情噺」的な側面もある。

つまり、コンテストとは無関係の人間同士の繋がりや、別れや、決意や、挫折や、喪失や、成功の話で、無論、そこで振る舞われる将太の寿司はお話のキーアイテムとなる。

こうした人情噺と寿司バトルの交互浴が『将太の寿司』の魅力だ。

 

話の流れはまぁ、世間でもよく言われているようにワンパターンと言えるかもしれない。いくらなんでもやりすぎだと思えるような展開も多分にある。リアル路線に見せかけてファンタジーな要素もある。たとえば、シャリを炊いた水の違いを当てたりもする。天才なのだ。

でも、人間同士のつながりが寿司によって成され、誰かが救われるのは、時として私の涙腺をワサビのように刺激したし、この作品を読んで寿司をより好きになったのも事実だ。

寿司のテーマで展開がパターン化しないわけがなく、それは多くの料理マンガがたどる道でもある。そんな中でよくもまぁこんなに、ネタの引き出しがあるものだと感心すらする。寿司なだけに。

名作だと思う。

よい意味で、少年マンガらしいマンガだ。

 

将太の寿司』で語られているテーマは3つある。

・喪失と再生

・憎悪と赦し

・父殺し

そんなバカな、と思われるかもしれないが、私が読んだかんじこの3つがテーマとして物語全体を流れていて、これらを「寿司バトル」「寿司人情噺」の枠組みで繰り返している。

登場人物たちの多くは、大切な人を喪っていたり、挫折をしたり、破綻していたりする。そんな胸にぽっかりと空いた穴を将太のさわやかな人間性と寿司が救い出す。かく言う将太自身も母親を亡くしている。

将太の母親が亡くなったのはライバルの寿司店のせいと言っても過言ではない。憎き相手、笹寿司をはじめとして、将太の前には凶悪な敵が現れ、将太や仲間を妨害し、ときには命すらも奪おうとする。これらの凶悪に対する将太の反応は、頭に血を上らせるものの、最後には寿司で屈服させることで自身の成長点とし、赦しを与えるパターンが多い。

そして父殺し。この作品における父とは、師匠である「親方」だ。

ツケ場に立つには親方を納得させる、つまりは親方をある点において「超越」しなければならない。親方は回りくどい方法で新人にヒントを与え、基本的には言葉ではなく「背中で語る」ことが多く、そこからなにも学べないのなら寿司職人を辞めろとでも言わんばかりだ。

Z世代にこれをやったら確実に3日で辞める。

将太はいかにして「父殺し」を果たすのか。

物語は意外な展開に進むことになる。

 

私は『将太の寿司』のすっかり虜になり、この数か月は寿司のことばかり考えてすごしてきた。

必然、妻との会話の内容も『将太の寿司』ばかりだ。

将太の寿司でさ、佐治さんと将太が序盤で戦うけど、あれってさすがにちょっと無理があったよなぁ。将太をどうしても勝たせなきゃいけなかったから、将太を天才にするしかなかった。でもこの作品は『天才』を描きたいわけじゃないと思うんだよね」

「いや、サジさんって誰?ってかわたし、読んでないし」

「ああ、佐治さんってのは将太のライバルで、物語全編を通しての──」

「いや知らんし。興味ないよ」

「興味持ってよ」

「持たないよ。ていうかさ、わけわかんないよ。知らないマンガの話ばかりされても」

「じゃあ、読むといいよ。面白いよ」

「やだよ」

 

妻に毎日のように『将太の寿司』の話をしてしまったことを、今では後悔している。

私はことあるごとにマンガの考察を話し、時には何か起こった物事に対して、『将太の寿司』の作中での出来事やセリフを引用して批判したり、意見を述べたりもした。敬虔なキリスト教徒が、子どもへ説教をするときに聖書を引用するように。

私は狂っていた。

たとえば妻が会社でこういう嫌なことがあった、みたいな話をしたら私は、

「あ〜『将太の寿司』でも似たようなことがあったな。マンガの中でも再三言われているように、寿司を握るうえで最も大切なことは、お客様のことを第一に考える「おもてなし」の心なんだよね。あなたの同僚がお客様に対してどういう対応を取ったのか些細はわからぬけれども、まず第一に客商売なのだから、おもてなしが行き届いていたのか今一度はっきり確認するのがいいだろうね。そのうえで、自分はどうするか、お客様が悪かったのか、考える必要がある。全国大会編の前にさ、武藤鶴栄っていう"料理人キラー"が出てくるんだけど、そこの話で──」

「もうやめて!!!!!!」

このような有り様で、私は『将太の寿司』の文脈を半ば妻に押し付けていた。

ハラスメント。

不名誉だがそう言われても仕方がない。

その結果、「将太」「寿司」という言葉に妻は異常に過敏になり、まったくマンガの話じゃないのに私が「寿司でも食べたいなぁ」とでも気まぐれに言うと、「ぐ、ぐぃぎぃぃぃいいいいい!!!」と苦悶して頭を掻きむしるようになってしまった。

将太の寿司』とフルで言葉にすると、ローキックで足元を崩されてからハイキックで顔面を潰される。

私が妻を狂わせた。

完全に私の過失だ。

私のせいで『将太の寿司』というマンガそのものを毀損する事態にもなってしまった。

妻に対しても申し訳ない気持ちだし、この作品に対しても申し訳ない思いでいっぱいだ。

私は、そんなつもりはなかったのだ。

 

私がここまで『将太の寿司』の話をしてしまったのは、周囲にこのマンガの話をできる人がいなかったからだ。20年以上前に連載が終わっている作品なのだ。

もう妻に『将太の寿司』の話をできないので(二度と、永久に、その機会は損なわれた)、こうしてブログに書き起こした。

妻を狂わせた私を狂わせたこのマンガを、皆さんにも読んでほしい。

そして私と、会話してほしい。