蟻は今日も迷路を作って

真面目な話からそうでない話まで。本当の話から嘘の話まで。蟻迷路(ありめいろ)という人が書いてます。

衆議院は解散したがる、万歳したがる

衆議院が解散するらしい。

「寂しいからやめなよ」と一応言ってたんだけど私の声は届かず、どうしても解散したいらしい。世の声は反映されない。

 

どうして解散するのか、しかしながら、私にはよくわかっていない。

昔からなにかと解散しては再び集結しているが一体どういうことなのか。なぜ解散するのだろう。

恋人に訊いてみると「心機一転したいんだよ」と言っていた。それなら国会議事堂をちょっと模様替えするとかみんなで大掃除するとかでもいいわけで、政治家がわざわざ自分の職を失うようなことをしないでもいいのに。

選挙をしたい。ただそれだけなのか?

自分の力を試したいのかもしれない。受験生が模試を受けるみたいなもので、ときどき選挙をしておかないと「ぼくって本当に支持されてるんだろうか」と不安にもなってくるだろう。一度自分の力を測り志望校の合格ラインとの距離感を見極める必要があるのだ。自分の進路ならまだしも日本の未来となれば尚更である。

衆議院を解散する理由について公民の授業でやった気もするのだが、当方ろくに授業も聞かず好きな子の後頭部ばかり眺めていたので忘れてしまった。どうせ実らぬ恋ならば真面目に授業を聞いておくべきだった。25にもなって衆議院が解散する理由を答えられないとは甚だ恥入るばかりである。

 

ところで解散のときに万歳するが、あれには理由も由来も無いらしい。これも教科書でやったかと思って調べたが、万歳には由来がないらしく、各々の所感で万歳しているのだという。

伝統とか しきたりとか形骸化しても由来さえあればまだいいと思うけど、それもなく万歳してると知り、なんだか怖くなった。

それでいいのか。

 

似たようなもので飲み会の終わりに「一本締め」というものがある。または「三三七拍子」もある。

これもなぜやるのか誰も説明ができない習俗なのだが、もはやこれをしないとなんだか飲み会が終わった気がしなくて心の置き所を失うというか、まるで最終回まで描ききらずに打ち切りに終わった漫画を読んだかのような気分になるのだ。忘年会とか納会とかちゃんとした飲み会ではきっちり締める傾向にある。

でも締めなかったらそれはそれでどうとでもなるし、心の置き所を失ったような喪失感は5秒で忘れるのでこの伝統がなくなってもさして問題ではない。

なぜあれをやるのか明確な理由は今日まで判明していないのと同じように、衆議院解散の万歳もあのノリに近いのではないだろうか。

なんかまぁ、やっとくか、みたいな。

なんなら解散する理由もよくわかっていないんじゃないか。なんだか面白そうなので万歳しているのではないか。

 

政治家ですらそうなのだとしたら、国民としてはもう「お手上げ」ですね。

万歳なだけに。